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日出づる処の名無し
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300 :日出づる処の名無し[sage]:2020/12/22(火) 22:56:53.50 ID:nPtnnC/1
ニコンがカメラ本体の国内生産を終了へ アサヒカメラ記者が見た「ニコンは一つ」の思い
https://dot.asahi.com/dot/2020121500061.html?page=1

米倉昭仁2020.12.19 18:00dot.
 ついにニコンは、70年以上続けてきたカメラボディーの国内生産に幕を下ろす。これまでボディーの製造は、宮城県にある「仙台ニコン」と、タイの「ニコンタイランド(NTC)」で行ってきたが、
コスト削減のため、タイ工場に集約する。
 ミラーレスカメラZ 7、Z 6の生産は9月末で完了し、10月からタイへの生産移管準備を開始している。デジタル一眼レフのD6も2021年度中にタイへ生産を移管する予定だ。
 1971年に設立された仙台ニコンは、仙台市の南に接する名取市にある。一眼レフの生産は「リトルニコン」の愛称で知られるEM(79年発売)から始まり、徐々に高級機の生産へとシフトして
いった。海外の生産工場に対して技術指導を行う「マザー工場」としての役割も担ってきた。
 私はこれまで仙台ニコンを取材で3回訪れたことがある。最近の製造現場はカメラのデジタル化にともないクリーンルーム化されているが、それ以前はニコンF5など、フィルムカメラが作ら
れる様子をすぐ横に立って見ることができたのはいい思い出だ。

■「ニコンは一つ」 目に飛び込んできた応援メッセージ
 なかでもいちばん印象に残ったのが2013年の訪問だった。
 その2年前、名取市は東日本大震災の大津波に襲われた。仙台ニコンの工場には津波は達しなかったものの、地震の揺れによって大きな被害を受けた。
 工場に足を踏み入れると、大きな文字で「ニコンは一つ」と書かれた横断幕が目に飛び込んできた。そこにはたくさんの応援メッセージが書き込まれていた。被災した仙台ニコンを激励す
るため、NTCから贈られたものという。
 会議室に招き入れられ、身が引き締まる思いがしたのは、担当者がこうあいさつしたときだった。
「誠に残念ながら、東日本大震災により仙台ニコンの従業員にも犠牲者が出ました。亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りします。これから東日本大震災による被害状況、そしてどう復
旧していったかを説明します」
 前方のスクリーンに海岸沿い大きな松の林が映し出され、その上を津波が越えてくる。
「仙台空港の近くです。この集落にも社員の家がありましたが、津波で流されました」
 画面が切り替わる。工場の東、海辺にある閖上(ゆりあげ)地区を小さな丘の上から見渡すように写している。立ち並んでいた住宅のほぼすべてが押し流され、基礎部分だけが残っている。
説明もなく、誰も何も言わず、ただじっと画面を見つめた。

■最優先課題だったFマウントの生産再開
 そして、震災直後の工場内。あらゆる種類の部品が床に散乱し、そのなかに無残にも調整用の機器が倒れ込んでいる。それがもっとも被害が大きかったカメラの組み立て工程の現場だっ
た。バヨネットマウント(Fマウント)の加工機の上にあったクレーンも落下。何トンもある電装工程用の設備も滑り動いた。
「でも、あれだけいろいろなものが倒れて、天井の一部も落ちましたが、工場内では一人のけが人も出なかったんです」
 仙台ニコンは1978年の宮城県沖地震などを教訓に、地震発生を揺れの前に知らせる警報システムを導入。避難訓練も行ってきた。建屋をかなり補強したことも幸いしたという。
 地震発生から3日後の3月14日、斎藤二郎社長(当時)が出社してきた従業員にハンドマイクで呼びかけ、工場の復旧活動が始まった。
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301 :日出づる処の名無し[sage]:2020/12/22(火) 22:57:39.01 ID:nPtnnC/1
 最優先課題はカメラボディーと交換レンズを結合するバヨネットマウントの生産再開だった。この部品の供給がストップしてしまうと、仙台ニコン以外のカメラ、レンズ工場の生産も止まってしま
う。幸運にもマウント加工機に落下したクレーンを引き上げると、機械の破損は軽微だった。
 精密な測定機器を調整するにはかなりの時間を要するのがふつうだが、必死の努力が実り、同月28日には一部の生産ラインを再開することができたという。

■熟練が要求されるファインダーの調整、シャッターユニットの組み立て
 会議室での説明の後、ニコンD800の「総組み工程」に案内された。そこには見学用に設けられたスペースがあり、クリーンルーム内でカメラが組み立てられていく様子を窓越しに見ること
ができた。全長80メートルほどの細長い形の部屋で、その奥ではD4が作られていた。
 組み立てステップは70から80ほどもあり、カメラの骨格となる部分にファインダーやシャッター、撮像素子などの部品が組み付けられていく。
 特に難しいのはファインダーまわりの調整で、かなり習熟度の高い作業者しか行えない工程という。チャートの指標を目視で確認しながら視野率が100%になるように微調整を行っていく。
調整の良否は測定器によって自動的に判定され、結果は作業者の前にあるモニター画面に表示される。機械で判定することによって、作業者ごとの調整のばらつきを最小限に抑えられる
わけだ。
 シャッターユニットの組み立ても見るからに難しそうだ。小さなユニットなのに、部品の数は百数十点にも及ぶ。極めて小さな部品を薄いシャッターの羽根に取り付ける際、それを工具でつ
ぶす「羽根がしめ」を行うのだが、うまくつぶせないと、性能に悪影響が出てしまう。D4で40万回、D800/D800Eで20万回を超えるシャッターの耐久性を持たせるためには職人芸的な技術が
要求されると、説明された。
 シャッターとは対照的に、シンプルだが重要なパーツがバヨネットマウント。それを作るための自動化されたラインが24時間体制で動き続ける。素材となるのがステンレスや真ちゅうをプレ
ス加工で形を整えた「スタンプ材」で、これが削り出されると、あの見慣れた形のFマウントが出来上がった。
「ニコン品質のカメラを海外メーカーが作ることはないと思います」
 カメラの製造というと、熟練した職人技によって支えられているというイメージがあった。しかし、斎藤社長はそうあるべきではないと言う。
「カメラは工業製品ですから、従業員であれば誰にでも作れることを目指しています。しかし、官能的な性能を求められるところもあり、そういう作業はある程度時間をかけなければ習得でき
ません。またカメラとして製品の差別化を図っていくにはそれなりのノウハウを入れていかなければならない。そこがなかなか難しいところです」
 生産にはさまざまなノウハウが必要となるが、それらがすべてそろわないとカメラは作れない。
「検査機器や金型など、専門メーカーで作れるものはそれを利用していますが、ニコン固有のものはほとんどグループ会社内で作っています。ですからニコン品質のカメラを海外メーカーが
作ることはないと思います」
 あの取材から7年がたった。これまで度々、訪れたニコンのカメラ生産拠点がなくなってしまうのは、正直、寂しいと思う。一方、仙台ニコンは引き続き、カメラ生産における重要な役割を担う
という。
 それについて、ニコンに尋ねると、常務執行役員・映像事業部長の池上博敬さんからこんなコメントをいただいた。
<仙台の生産工場(仙台ニコン)は、およそ40年続いたカメラ生産をタイ工場に移管しますが、映像製品に必要な高機能・高精度な部品生産を継続し、タイの生産工場の生産立ち上げなど
で今後もサポートして参ります。
同時に、カメラ生産と新製品立ち上げで培った生産技術力、機動力をベースにニコンの将来を支える新規事業のスタートアップ工場としても活躍していきます。カメラ生産の移管先であるタ
イの生産工場は1990年に設立、約30年もの間カメラや交換レンズの生産を続けており、ニコンの主力工場として長年にわたりニコンクオリティーを実現しています。これからも変わらずに皆
さまにご満足いただける高い品質の製品を提供して参ります。引き続きニコン製品をご愛顧賜りますようお願い申し上げます>(文・アサヒカメラ 米倉昭仁)
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302 :日出づる処の名無し[sage]:2020/12/22(火) 22:58:21.90 ID:nPtnnC/1
【独占】テキーラ女性急死・光本勇介氏「1、2年前からテキーラチャレンジ」で問われる起業家の資質
https://www.businessinsider.jp/post-226201

西山 里緒 and 伊藤 有 [編集部] Dec. 15, 2020, 06:55 PM News
東京・恵比寿の高級ラウンジで、女性が「750ミリリットルのテキーラを15分以内に飲む」というゲームに参加後、死亡した。その現場にいた連続起業家の光本勇介氏(40)が12月14日、
Business Insider Japanの単独インタビューに応じた。女性が亡くなったのは11月27日夜のことだった。
創業した会社やサービスを高額で売却するなど、起業家としてメディアにも多く取り上げられてきた光本氏。その功績を取材してきたメディアとして、人の命が失われた深刻な事態について
の光本氏の受け止めと、その背景にあったことを聞いた。

「テキーラチャレンジ」は2年前からしていた
12月14日午前、電話口で取材に応じた光本氏は、以前取材したときの闊達(かったつ)な語りとは様変わりして、沈んだトーンを感じさせる声色だった。
光本氏によると、店から事故について知らされたのは、問題の飲み会から夜が明けた11月28日だったという。言葉を選びながら、その時の心境をこう語った。
「第一報をいただいたときは、何を感じたというよりは、初めての出来事でしたので、動揺してしまって。気持ちに整理がつかないというか、現状が理解できない、というのが一番最初の印象で
す」
なお文春オンラインによると、光本氏は女性の死亡後の12月4日にも六本木のラウンジで酒席についていたと報じられている。
そもそもこのテキーラゲームは「750ミリリットルのテキーラを15分以内に飲めたら10万円」という内容で、デイリー新潮によると光本氏が考案したものだという。
いつからこのゲームをしていたのか、との問いには「明確に記憶しているわけではないが、1〜2年前だったと思う」と語った。BANKやheyなどの企業経営に携わっていた時期にもこうしたゲ
ームに興じていたのか、との質問には「そういう機会があったかもしれない」と答えた。
同席者は「申し上げられない」
「テキーラ一気飲み」のような飲み方の同席者として噂される複数の起業家の名前については、光本氏は「申し上げることはない」とした(写真はイメージです)。
一方で、SNS上でさまざまな憶測が飛び交っている同席者については「私からは申し上げることができない」と述べるにとどめた。
同席者としては、著名なスタートアップ経営者(A氏・B氏)の名前が挙がっていたり、友人とされる経営者(C氏・D氏)らと過去にテキーラチャレンジをしたりとの指摘もあるが事実か、との質
問については、沈黙を挟みながら、こう答えた。
「その方々とは友人であり、今までにお酒を飲ませていただいたことはございます。本件について、特にその方々について申し上げることはございません」
また今回の件について「私の知人や友人というだけで(噂が)多く上がっているが、あくまで私個人のお話としていただきたい」と述べた。

70億円調達「hey」との資本関係は?
光本氏が創業したブラケットはストアーズ・ドット・ジェーピーとなり、その後「STORES」を運営するheyに統合された。
2019年9月のBANK解散後、光本氏は「実験」という個人会社を立ち上げ、いくつかのサービスをリリースしている。そのうちの一つ「FOLLOW ME(フォローミー)」は2020年9月に、ユーチュ
ーバー専門のプロダクション、UUUM社へ売却している。
実験社や自身の事業について今後どうするのか、との質問に対しては、こう語った。
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303 :日出づる処の名無し[sage]:2020/12/22(火) 22:59:05.26 ID:nPtnnC/1
302のつづき

「次のチャレンジを模索しているステータスである、と申し上げましたが、事故が起きてから、そのステータスは変化しています。今は自分自身のチャレンジを考えるよりは、私がすべきこ
とや反省すべきことにしっかり向き合いたいと思っています」
さらに、光本氏が創業したネットショップ作成サービス「STORES」を運営し、8月に70億円を超える資金調達をしたことでも知られるheyとのつながりについては、
「2019年には役員でしたが、すでに退任しております。本件とは切り離して捉えていただければと思います」
とした。
2020年8月にBusiness Insider Japanがhey社長の佐藤裕介氏に取材した際、佐藤氏は光本氏について「役員は退任したものの、依然としてheyの大株主である」と発言している。
光本氏に、現時点でのheyとの資本関係について尋ねると「公開されている情報ではないため、申し上げることができない」と答えた。
光本氏は「面白そうなサービスを実験的に世の中に出してみる」ことを目的とした個人企業を運営している。
光本氏は「人生、すべては実験」「狂ったようなチャレンジを」と掲げ、さまざまな事業の立ち上げとその経営判断で世間を驚かせてきた。
今回の「テキーラ女性急死」という衝撃的な事態を契機に、光本氏が起業家として責任ある行動を取ってきたのかを、疑問視する向きはSNSを中心に広がっている。
メディアとしても、著名な起業家の功績に脚光を当てるのみならず、巨額の事業売却と短期間での破格の買い戻し、突然の解散といった経営判断を、倫理観や社会的責任という視点から、
問う必要があったと言える。
「今まで、社会的な責任を軽く捉えたり、雑に考えたりしてきたつもりはございません。『このような軽率な行動をしておいて何をいうんだ』と批判をいただくかもしれないが、自分なりに責任
を持って会社を経営してきたつもりではあります」
光本氏は、社会的責任を問う質問にこう回答した。
また、一時は70億円でDMM.comに売却した後、破格の5億円で買い戻したBANKを、1年も経たないうちに解散したことについては次のように振り返った。
「私が中途半端にチャレンジをしてしまうことで、従業員をアンハッピーな状況にさせてしまうのであれば、あのタイミングで解散をしたほうが社会的責任を果たせる、との判断でした。無責
任でああいった行動をとったつもりはございません」
今回の一連の報道は、スタートアップ界隈への影響も少なくない。
「(成功した起業家に相応しい振る舞いをすべきという)そうした期待が(自分に)かかっていたとすれば、本当に申し訳ないと思っております」
自身の公式サイトでの発表では、テキーラの一気飲みに近い危険な飲み方を「ゲーム」と表現していた光本氏。編集部からの質問への回答を続ける中でも、やはり再三「ゲーム」という表現
を使っていた点は変わらなかった。
豊富な社会経験を積んだ大人であり、経営者でもある光本氏が「一気飲み」の危険性について認識していなかったのか。 過去から現在まで同席した友人たちのなかに、止める人はいなか
ったのか。
出資者だけでなく、今まで関わりのあった社員やユーザー、取引先など多方との繋がりで存在する、企業という「社会の公器」。その経営者としての責任と自覚は、光本氏や周囲にあったのか。
この点に関しては、インタビューを通じて疑問に残り続けた。(取材・文、西山里緒、聞き手・伊藤有、編集・滝川麻衣子)
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304 :日出づる処の名無し[sage]:2020/12/22(火) 22:59:27.25 ID:nPtnnC/1
リニア談合で排除措置命令 ゼネコン4社に公取委
https://this.kiji.is/714000656692822016?c=39546741839462401&ncmp=modal

12/22(火) 15:22配信 共同通信
 リニア中央新幹線の駅新設工事を巡る談合事件で、公正取引委員会は22日、独禁法違反(不当な取引制限)で
大林組、鹿島、清水建設、大成建設の大手ゼネコン4社に排除措置命令を出した。実際に工事を受注した大林組に
は約31億円、清水には約12億円の課徴金納付命令も出した。
 公取委によると、4社は遅くとも2015年2月以降、リニア中央新幹線の品川駅と名古屋駅の建設工事で、受注価
格が下がるのを防ぐ目的で受注予定業者をあらかじめ決め、見積価格に関する情報を交換するなどして競争を制
限した。
 大林組と清水は談合を公取委に自主申告したため、課徴金額は30%ずつ減免された。
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312 :日出づる処の名無し[sage]:2020/12/22(火) 23:13:32.99 ID:nPtnnC/1
アベちょんファビョ〜ン


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