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日出づる処の名無し
【世界の】「南京大虐殺」はこうだった【常識】1次資料

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【世界の】「南京大虐殺」はこうだった【常識】1次資料
1 :日出づる処の名無し[]:2018/06/07(木) 00:25:25.86 ID:bBK145eO
30万人説はとらず、外務省HPの数万人説をとると。。


南京事件発生直後に、日本の東京の外務省に事件の悲惨な情報が
入ったため、外務省の石射猪太郎東亜局長が事態を重くみて、
陸軍軍務局に伝達したが、その結果、現地の南京総領事が陸軍
によって突き上げられる始末であった。広田弘毅外務大臣より
陸軍大臣の杉山元への軍紀粛正の要請があり、1月に陸軍参謀
本部の本間雅晴が現地に派遣され、その報告を受けて現地の
中支那方面軍司令官の松井石根が日本に召還された。

1937年12月15日、A・T・スティール記者は
シカゴ・デイリー・ニューズで”NANKING MASSACRE STORY”
(南京大虐殺物語)を世界で初めて報道した。
また12月17日「特派員の描く中国戦の恐怖 
―南京における虐殺と略奪の支配」、
12月18日「南京のアメリカ人の勇敢さを語る」と報道した。
1938年2月4日記事では、南京の中国人虐殺をウサギ狩り
(ジャックラビット狩り)に比して「ハンターのなす警戒線が
無力なウサギに向かってせばめられ、囲いに追い立てられ、
そこで殴り殺されるか、撃ち殺されるかするのだった。
南京での光景はまったく同じで、そこでは人間が餌食なのだ。
逃げ場を失った人々はウサギのように無力で、
戦意を失っていた。その多くは武器をすでに放棄していた。
(略)日本軍は兵士と便衣兵を捕らえるため市内をくまなく
捜索した。何百人もが難民キャンプから引き出され、
処刑された。(略)日本軍にとってはこれが戦争なのかもし
れないが、私には単なる殺戮のように見える」と報じた。
【世界の】「南京大虐殺」はこうだった【常識】1次資料
2 :日出づる処の名無し[]:2018/06/07(木) 00:28:08.47 ID:bBK145eO
ティルマン・ダーディン特派員は12月17日に
上海アメリカ船オアフ号から記事を発信し、
12月18日にニューヨーク・タイムズに掲載された。
この記事では「・・少なくとも戦争状態が終わるまで、
日本側の規律は厳格であろうという気はしていた。
ところが、日本軍の占領が始まってから二日で、
この見込みは一変した。大規模な略奪、婦人への暴行、
民間人の殺害、住民を自宅から放逐、捕虜の大量処刑、
青年男子の強制連行などは、南京を恐怖の都市と化した」
「民間人の殺害が拡大された。水曜日、市内を広範囲に見て
回った外国人は、いずれの通りにも民間人の死体を目にした。
犠牲者には老人、婦人、子供なども入っていた」
「民間人の死傷者の数も、千人を数えるほどに多くなっている。
唯一開いている病院はアメリカ系の大学病院であるが、
設備は、負傷者の一部を取り扱うのにさえ、不十分である」

「現地の中国住民および外国人から尊敬と信頼が得られるはずの、
またとない機会を逃してしまった」と報道している
【世界の】「南京大虐殺」はこうだった【常識】1次資料
3 :日出づる処の名無し[]:2018/06/07(木) 00:28:43.59 ID:bBK145eO
ティルマン・ダーディン特派員は12月17日に
上海アメリカ船オアフ号から記事を発信し、
12月18日にニューヨーク・タイムズに掲載された。
この記事では「・・少なくとも戦争状態が終わるまで、
日本側の規律は厳格であろうという気はしていた。
ところが、日本軍の占領が始まってから二日で、
この見込みは一変した。大規模な略奪、婦人への暴行、
民間人の殺害、住民を自宅から放逐、捕虜の大量処刑、
青年男子の強制連行などは、南京を恐怖の都市と化した」
「民間人の殺害が拡大された。水曜日、市内を広範囲に見て
回った外国人は、いずれの通りにも民間人の死体を目にした。
犠牲者には老人、婦人、子供なども入っていた」
「民間人の死傷者の数も、千人を数えるほどに多くなっている。
唯一開いている病院はアメリカ系の大学病院であるが、
設備は、負傷者の一部を取り扱うのにさえ、不十分である」

「現地の中国住民および外国人から尊敬と信頼が得られるはずの、
またとない機会を逃してしまった」と報道している
【世界の】「南京大虐殺」はこうだった【常識】1次資料
7 :日出づる処の名無し[]:2018/06/07(木) 01:13:43.63 ID:bBK145eO
両角業作大佐の手記や証言

日本テレビの番組は、決定的な証言を得る。65年前、両角連隊長に取材し
記事を書いた福島民友新聞の元記者を探しだして、清水ディレクターが直接、
インタビューをしたのだ。
 元記者の阿部輝郎さんは、85歳になっていた。取材当時、
両角連隊長の自宅に2回訪問し、2日にわたって長い話を聞いたという。
阿部さんもまた清水氏の質問に対し、両角連隊長は現場におらず、
捕虜殺害を見ていなかったと答えた。そして、
両角連隊長によるメモは
「戦後になって、昭和30年代になって書いたものである」
と証言したのである。
【世界の】「南京大虐殺」はこうだった【常識】1次資料
8 :日出づる処の名無し[]:2018/06/07(木) 01:18:20.91 ID:bBK145eO
国際法学者 佐藤和男せんせいの矛盾

@捕虜虐殺の根拠

ラサ・オッペンハイムの「多数の敵兵を捕えたので自軍の安全が危ないとき、
捕えた敵兵に対し助命を認めなくてもよい」という考えは1921年の学説で1937年の
南京事件から時間がたっていないので有効な考えである

ただしこの考えに反する
1929年捕虜条約(俘虜の待遇に関する条約(ジュネーブ条約)のこと)
がその間にあることも佐藤は記述??


A捕虜への復讐は合法?

中国側も通州事件で残虐行為を行った復仇であった

ただし佐藤は同じ論文の中
で1929年の俘虜の待遇に関する条約(ジュネーブ条約)によって捕虜への復仇が禁止
されていたことも記述??

このひとの考え、おかしいと思わない。佐藤先生は本当に一流の学者??
【世界の】「南京大虐殺」はこうだった【常識】1次資料
13 :日出づる処の名無し[]:2018/06/07(木) 08:46:38.74 ID:bBK145eO
両角業作大佐の手記や証言

日本テレビの番組は、決定的な証言を得る。65年前、両角連隊長に取材し
記事を書いた福島民友新聞の元記者を探しだして、清水ディレクターが直接、
インタビューをしたのだ。
 元記者の阿部輝郎さんは、85歳になっていた。取材当時、
両角連隊長の自宅に2回訪問し、2日にわたって長い話を聞いたという。
阿部さんもまた清水氏の質問に対し、両角連隊長は現場におらず、
捕虜殺害を見ていなかったと答えた。そして、
両角連隊長によるメモは
「戦後になって、昭和30年代になって書いたものである」
と証言したのである。
【世界の】「南京大虐殺」はこうだった【常識】1次資料
14 :日出づる処の名無し[]:2018/06/07(木) 08:47:23.55 ID:bBK145eO
30万人説はとらず、外務省HPの数万人説をとると。。


南京事件発生直後に、日本の東京の外務省に事件の悲惨な情報が
入ったため、外務省の石射猪太郎東亜局長が事態を重くみて、
陸軍軍務局に伝達したが、その結果、現地の南京総領事が陸軍
によって突き上げられる始末であった。広田弘毅外務大臣より
陸軍大臣の杉山元への軍紀粛正の要請があり、1月に陸軍参謀
本部の本間雅晴が現地に派遣され、その報告を受けて現地の
中支那方面軍司令官の松井石根が日本に召還された。

1937年12月15日、A・T・スティール記者は
シカゴ・デイリー・ニューズで”NANKING MASSACRE STORY”
(南京大虐殺物語)を世界で初めて報道した。
また12月17日「特派員の描く中国戦の恐怖 
―南京における虐殺と略奪の支配」、
12月18日「南京のアメリカ人の勇敢さを語る」と報道した。
1938年2月4日記事では、南京の中国人虐殺をウサギ狩り
(ジャックラビット狩り)に比して「ハンターのなす警戒線が
無力なウサギに向かってせばめられ、囲いに追い立てられ、
そこで殴り殺されるか、撃ち殺されるかするのだった。
南京での光景はまったく同じで、そこでは人間が餌食なのだ。
逃げ場を失った人々はウサギのように無力で、
戦意を失っていた。その多くは武器をすでに放棄していた。
(略)日本軍は兵士と便衣兵を捕らえるため市内をくまなく
捜索した。何百人もが難民キャンプから引き出され、
処刑された。(略)日本軍にとってはこれが戦争なのかもし
れないが、私には単なる殺戮のように見える」と報じた。
【世界の】「南京大虐殺」はこうだった【常識】1次資料
15 :日出づる処の名無し[]:2018/06/07(木) 08:51:19.94 ID:bBK145eO
日本は、捕虜を復仇の対象とすることを禁止する等を定めた1929年ジュネーブ捕虜条約を1937年当時批准していないが、ハーグは批准、その精神を無視していいの?

陛下の人道主義、国際法遵守を無視した陸軍上層部は真の逆賊。
【世界の】「南京大虐殺」はこうだった【常識】1次資料
21 :日出づる処の名無し[]:2018/06/07(木) 22:17:06.29 ID:bBK145eO
国際法学者 佐藤和男せんせいの矛盾

@捕虜虐殺の根拠

ラサ・オッペンハイムの「多数の敵兵を捕えたので自軍の安全が危ないとき、
捕えた敵兵に対し助命を認めなくてもよい」という考えは1921年の学説で1937年の
南京事件から時間がたっていないので有効な考えである

ただしこの考えに反する
1929年捕虜条約(俘虜の待遇に関する条約(ジュネーブ条約)のこと)
がその間にあることも佐藤は記述??


A捕虜への復讐は合法?

中国側も通州事件で残虐行為を行った復仇であった

ただし佐藤は同じ論文の中
で1929年の俘虜の待遇に関する条約(ジュネーブ条約)によって捕虜への復仇が禁止
されていたことも記述??

このひとの考え、おかしいと思わない。佐藤先生は本当に一流の学者??

日本は、捕虜を復仇の対象とすることを禁止する等を定めた1929年ジュネーブ捕虜条約を1937年当時批准していないが、ハーグは批准、その精神を無視していいの?

陛下の人道主義、国際法遵守を無視した陸軍上層部は真の逆賊。
【世界の】「南京大虐殺」はこうだった【常識】1次資料
24 :日出づる処の名無し[]:2018/06/07(木) 22:21:09.87 ID:bBK145eO
便衣兵とは誰をさすか?の定義だが、軍服を脱いで民衆に紛れよう
としただけでは便衣兵とみなさない、という考えがある。つまり、
(軍服着用などの)交戦者資格を満たしていないだけでなく、
「害敵手段(戦闘行為やテロ行為)を行うもの」を便衣兵とみなす、
と戦前の国際法学者信夫淳平は説明する。便衣兵の定義は、
「交戦者たるの資格なきものにして害敵手段を行ふのであるから」
である。
同じく、戦前の戦時国際法の研究者篠田治策も、
当時『北支事変と陸戦法規』において、抗戦の意図はなく
専ら逃亡目的で平服を着用していて敵対行動をとらない兵士は、
便衣兵とは見なしていない、と記している
また、北岡伸一も、「便衣隊についても、本来は兵士は軍服を
着たまま降伏すべきであるが、軍服を脱いで民衆に紛れようと
したから殺してもよいというのは、とんでもない論理の飛躍」
と主張している。
【世界の】「南京大虐殺」はこうだった【常識】1次資料
26 :日出づる処の名無し[]:2018/06/07(木) 22:25:37.31 ID:bBK145eO
当時の中国政府の認知
東中野や戸井田は、当時の中国国民党が1937年12月
から約11か月の間に300回の記者会見を行ったという
記録があるが、国民党の秘密文書の中には「
南京事件の記者会見があった」という記録はなく、
事件の存在自体が疑わしいと主張した。
ただし、国民党の新聞では、外国報道の翻訳
のみではあるが南京事件について報じており、
国民党の新聞中央日報、新華日報はアメリカ
の上海新聞Shanghai Evening Post and Mercury(大美晩報),
The China Weekly Review(John W. Powell主幹)
の事件報道の記事を翻訳して掲載した。関根謙は、
中国側が独自取材の記事としては南京事件を報道しなかった
理由として、当時中国側の新聞は戦意高揚のために戦勝記事
を繰り返しており、南京戦での敗北を報じたくなかったため
と主張している。
【世界の】「南京大虐殺」はこうだった【常識】1次資料
28 :日出づる処の名無し[]:2018/06/07(木) 22:30:37.83 ID:bBK145eO
「便衣」とは平服という意味。軍服の対義語。
「便衣兵」とは、平服を着た兵士。ゲリラ兵のこと。
便衣兵であるかどうかにつき、兵士が実際に戦闘をしているかどうかによる。

よって、軍服を着ていない兵士を便衣兵=ゲリラと呼ぶことは正しいという
解釈は詭弁である。


安倍政権に近い国際政治学者の北岡氏は、こうおっしゃった

「便衣隊についても、本来は兵士は軍服を
着たまま降伏すべきであるが、軍服を脱いで民衆に紛れようと
したから殺してもよいというのは、とんでもない論理の飛躍」
【世界の】「南京大虐殺」はこうだった【常識】1次資料
30 :日出づる処の名無し[]:2018/06/07(木) 22:32:46.06 ID:bBK145eO
中支那方面軍軍律審判規則
第一条 軍律会議は軍律を犯したる者に対し其の犯行に付之を審判す
第二条 軍律会議は上海派遣軍及第十軍に之を設く
第三条 軍律会議は之を設置したる軍の作戦地域内に在り又は其の地域内に於いて軍律を犯したる者に対する事件を管轄す(中略)
第四条 軍律会議は軍司令官を以て長官とす
第五条 軍律会議は審判官三名を以て之を構成す 審判官は陸軍の将校二名及法務官一名を以て充て長官之を命ず
第六条 中華民国人以外の外国人を審判に付せんとするときは方面軍司令官の認可を受くべし
第七条 軍律会議は審判官、検察官及録事列席して之を開く
第八条 軍律会議に於て死を宣告せんとするときは長官の認可を受くべし
— 中方軍令第三号,昭和十二年十二月一日

即時処刑は、ぐ ん り つ い は ん  !  !
【世界の】「南京大虐殺」はこうだった【常識】1次資料
31 :日出づる処の名無し[]:2018/06/07(木) 22:34:44.11 ID:bBK145eO
とっくに南京放りだしてる国民党政府が状況をわかるわけがない
やり直し


じゃあ、欧米の報道に頼って 記者会見なしは当然!
【世界の】「南京大虐殺」はこうだった【常識】1次資料
34 :日出づる処の名無し[]:2018/06/07(木) 22:35:52.91 ID:bBK145eO
とっくに南京放りだしてる国民党政府が状況をわかるわけがない
やり直し

つまり欧米の記事にに頼って 記者会見はなしね!
【世界の】「南京大虐殺」はこうだった【常識】1次資料
37 :日出づる処の名無し[]:2018/06/07(木) 22:37:30.47 ID:bBK145eO
国際法学者佐藤和男は、南京占領時の潜伏敗残兵の摘発・処刑は、
兵民分離が厳正に行われており、しかも、(捕獲した中国兵が)
多人数であったために軍律審判の実施が不可能(軍律審判なしの
処刑も可能)と述べる


いいかげんな佐藤さん
【世界の】「南京大虐殺」はこうだった【常識】1次資料
40 :日出づる処の名無し[]:2018/06/07(木) 23:01:35.16 ID:bBK145eO
国際法学者佐藤和男は、南京占領時の潜伏敗残兵の摘発・処刑は、
兵民分離が厳正に行われており、しかも、(捕獲した中国兵が)
多人数であったために軍律審判の実施が不可能(軍律審判なしの
処刑も可能)と述べる


いいかげんな佐藤さん
【世界の】「南京大虐殺」はこうだった【常識】1次資料
42 :日出づる処の名無し[]:2018/06/07(木) 23:03:06.76 ID:bBK145eO
「便衣」とは平服という意味。軍服の対義語。
「便衣兵」とは、平服を着た兵士。ゲリラ兵のこと。
便衣兵であるかどうかにつき、兵士が実際に戦闘をしているかどうかによる。

よって、軍服を着ていない兵士を便衣兵=ゲリラと呼ぶことは正しいという
解釈は詭弁である。


安倍政権に近い国際政治学者の北岡氏は、こうおっしゃった

「便衣隊についても、本来は兵士は軍服を
着たまま降伏すべきであるが、軍服を脱いで民衆に紛れようと
したから殺してもよいというのは、とんでもない論理の飛躍」
【世界の】「南京大虐殺」はこうだった【常識】1次資料
44 :日出づる処の名無し[]:2018/06/07(木) 23:11:24.57 ID:bBK145eO
偕行社の『南京戦史資料集』は南京事件研究の基礎文献と位置付けられており、虐殺否定派もしばしば引用してきた。だが、同資料集冒頭の解説には「両角日記」及び「両角手記」の性質についてこう断言されていることに、なぜか否定派はあまり言及しようとしない。

〈『両角業作大佐の日記』は、メモと言った方がよいかも知れぬ簡単なもので、問題の幕府山で収容した捕虜の処置については、その全体像を明らかにすることはできない。〉
〈『手記』は明らかに戦後書かれたもので(原本は阿部氏所蔵)、幕府山事件を意識しており、他の第一次資料に裏付けされないと、参考資料としての価値しかない。〉


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