- 【手の込んだ自殺】海江田民主党等研究第116弾【「0増5減では不十分」】
381 :日出づる処の名無し[sage]:2013/03/27(水) 06:31:11.37 ID:VYv06MSb - 天声人語
http://www.asahi.com/paper/column.html 心臓が強いなと感心する。一票の格差をめぐる違憲判決が相次ぎ、国会議員も少しは神妙にするのかと思いきや、 おとなしい人ばかりではなかった。裁判所に真っ向からかみつく猛者もいた ▼自民党のベテラン中谷元氏が、先週の衆院憲法審査会で主張した。「国会が決めた選挙のあり方について、違憲とか 無効とか、司法が判定する権利が、三権分立上許されるものか疑問だ。立法府への侵害だ」。続けて、最高裁の判断が おかしい時にはおかしいと言うために国会の中に審判所なりを設けよ、とも述べた ▼国会のつくった法律が憲法にかなっているか否か、最高裁があとから吟味して決める権限を違憲審査権という。 それで争いを一件落着とする仕組みだが、いや、もう一度蒸し返させろというわけなのだろう ▼お山の大将はこっちだぞと、駄々をこねている感なきにしもあらず。「国権の最高機関」に属する選良たちは誇りが 高い。国民から直接選ばれているわれわれは、裁判官や官僚とは違う。それはその通りなのだが、その選ばれ方が 問われている ▼司法も行政もそこのけそこのけ、といわんばかりの議論は以前からあった。国会のやったことを裁判所が憲法違反 だというなら、憲法の方を変えてしまえばいい。そのためにも96条の定める改憲のハードルを下げなければならない、 というように ▼そんな乱暴な発想も、96条改正論の底には隠れている。権力分立や「法の支配」といった憲法の根幹が損なわれ かねない話である。
|
- 【手の込んだ自殺】海江田民主党等研究第116弾【「0増5減では不十分」】
389 :日出づる処の名無し[sage]:2013/03/27(水) 07:08:51.29 ID:VYv06MSb - 防衛事務次官、異例の交代 安倍内閣、民主色嫌い?
http://www.asahi.com/politics/update/0327/TKY201303260517.html 安倍内閣は26日の閣議で、防衛省の金沢博範事務次官(62)の退任と、後任に西正典防衛政策局長(59)を起用する ことを決めた。国会会期中の事務次官交代は異例。防衛省内では「民主党色の強い金沢氏を嫌った首相官邸の意向」 (幹部)とみられている。 金沢氏は2009年の政権交代の直前に官房長に昇格。民主党政権の歴代防衛相を支え、「非常に強い統率力だった」 (北沢俊美元防衛相)。複数の関係者によると金沢氏は森本敏前防衛相の時に来年3月末まで定年延長が内定したが、 安倍政権発足で白紙となり、退職を申し出たという。 国会開会中の防衛事務次官交代は1995年以来。金沢氏の退任に関し小野寺五典防衛相は26日の会見で「定年に 関わる小規模の異動」と語った。(園田耕司)
|
- 【手の込んだ自殺】海江田民主党等研究第116弾【「0増5減では不十分」】
393 :日出づる処の名無し[sage]:2013/03/27(水) 07:25:26.65 ID:VYv06MSb - ガス基地構想 原発の次へ踏み出そう
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2013032702000109.html 福井県若狭湾岸の「原発銀座」を液化天然ガス(LNG)基地や発電所に置き換えようと先月、地元政財界が 研究会を発足させた。何より、雇用が確保される。原発の次へ踏み出す一歩にしたい。 日本原子力発電(原電)敦賀原発1号機は一九七〇年三月十四日、大阪万博の開幕に合わせて営業運転を 開始した。日本最古の軽水炉は、高度経済成長のまさに象徴だった。その日から四十年あまり、敦賀原発のある 若狭湾一帯には、日本原子力研究開発機構の高速増殖原型炉「もんじゅ」も含めて十四基もの原発が集中し、 「原発銀座」と呼ばれるようになっていた。原発銀座は、関西圏で消費される電力の半分以上を送り出した。 同時に過疎地は交付金で潤った。 ところが3・11は、この地域にとっても転機になった。安全神話は偽りだと分かり、その後の調査では大地震の 原因になる活断層が次々に発見されている。直下に活断層が見つかった敦賀2号機の存続は難しい。さらに 原子炉の老朽化も著しい。これからは、新増設はおろか、再稼働も難しいだろう。そうなれば、地域の体質改善は 避けられない。 とは言うものの、原発なしで町や暮らしが成り立つのだろうか。住民は、安全と経済のはざまで揺れながら、二重の 不安を抱えているのが現状ではないか。私たちは、港や送電網といった既存の発電インフラや長年の原子力 技術の集積を生かし、原発に代わる新産業をこの地域で育成すべきだと訴えてきた。培ってきた放射線の研究や その医療への応用などである。 敦賀港には大型タンカーが接岸可能だ。LNG大国ロシアに近く、関西、中京圏という消費地からも遠くない。 エネルギー基地として十分な地の利がある。既存の送電網は地域の強い味方になる。研究会では、一足飛びの 脱原発ではなく原子力を含むエネルギーミックスが唱えられた。原発は手放さないということだ。しかし長い目で 見れば脱原発は時代の要請でもある。大いに検討してほしい。 若狭湾の再開発は、原発の出口戦略づくりの良いモデルになるかもしれない。日本中で最も長く、最も多くの 原発と向き合い、共存してきた若狭の未来図でもある。政府は、支援を惜しむべきではないし、電力消費地からも、 応援したい。
|
- 【手の込んだ自殺】海江田民主党等研究第116弾【「0増5減では不十分」】
395 :日出づる処の名無し[sage]:2013/03/27(水) 07:30:04.87 ID:VYv06MSb - 自民の衆院選挙制度改革案「憲法上の疑問」=民主・岡田氏
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013032700006 民主党の岡田克也政治改革推進本部長は26日夜、BSフジの番組で、比例代表に中小政党の優遇枠を設ける 自民党の衆院選挙制度改革案について「1票の平等に憲法上の疑問が出る」と批判した。日本維新の会国会 議員団の園田博之幹事長代理も「1位になった政党の一定枠の議席はいらないというのは、国民が怒る」と同調した。 これに対し、自民党の細田博之幹事長代行は同じ番組で「大政党ほど有利な現行制度の修正だ」と反論した。
|
- 【我が党参院候補予定者の】海江田民主党等研究第117弾【惨事をお知らせします】
11 :日出づる処の名無し[sage]:2013/03/27(水) 20:44:45.63 ID:VYv06MSb - 高支持率の政権に連合歩み寄り 政労会見再開も要請
http://www.asahi.com/politics/update/0327/TKY201303270438.html 【山本知弘、石井潤一郎】連合の古賀伸明会長と自民党の石破茂幹事長が27日、自民党本部で会談し、定例の 幹部会を開くことで一致した。連合は民主党の応援団だが、高支持率の安倍政権には歩み寄らざるを得ない。 双方の距離は確実に縮まりつつある。 古賀氏は、安倍晋三首相とのトップ会談で労働問題を話し合う「政労会見」の再開も要請。石破氏も「ぜひ連合の 考えをお伝え願いたい」と前向きに応じた。 歩み寄る連合に、石破氏は「雇用が増え賃金が上がるといった、連合が求めていることは我々が言っていることだ。 一致点はある」と歓迎。同席した衛藤晟一首相補佐官は「自民党を好きと言わずとも嫌いと言わないでほしい」 と求めた。 ∧_∧ < `Д´> ラ党は相変わらず高支持率ニカ・・・・・・ _ (__つ/ ̄ ̄ ̄/_ \/ /  ̄ ̄ ̄ ∧__∧ < `д´ > __ (__つ/ ̄ ̄ ̄/_ \/ /  ̄ ̄ ̄ ∧_∧ <丶`д´> ・・・・・・・・・・・・・・・・・ _ (__つ/ ̄ ̄ ̄/_ \/ /  ̄ ̄ ̄ ∧__∧ < `∀´ > __ (__つ/ ̄ ̄ ̄/_ \/ /
|
- 【我が党参院候補予定者の】海江田民主党等研究第117弾【惨事をお知らせします】
20 :日出づる処の名無し[sage]:2013/03/27(水) 20:48:35.66 ID:VYv06MSb - 比例削減の民主案に反対=福島社民党首
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013032700960 社民党の福島瑞穂党首は27日、国会内で記者会見し、衆院選挙制度改革で小選挙区を30、比例代表を 50削減する民主党案について「比例削減は多元的な価値が国会に反映しなくなる。反対だ」と述べた。
|
- 【我が党参院候補予定者の】海江田民主党等研究第117弾【惨事をお知らせします】
123 :日出づる処の名無し[sage]:2013/03/27(水) 22:43:24.40 ID:VYv06MSb - 田添鉄二と現代2013年03月27日
http://kumanichi.com/syatei/201303/20130327001.shtml 熊本の政治風土は保守、というのが一般的な印象かもしれない。しかし、明治にさかのぼると、日本の社会主義 の草創期にかかわった人物がいたことは、あまり知られていない。 その人物は田添鉄二。1875(明治8)年、熊本市(旧飽託郡中緑村)生まれ。日本社会党結成に参加。片山潜 の片腕と言われながら、1908(明治41)年、32歳で亡くなった。今月、「顕彰碑をつくる会」(代表・猪飼隆明 大阪大名誉教授)がシンポジウムを開催。田添のふるさとに碑が立てられた。 田添は熊本英学校、長崎・鎮西学院から米シカゴ大に進んだキリスト教徒で、帰国後は新聞の主筆などを経て、 社会主義運動に身を投じた。当時の時代背景をみると、社会党結党は1906年だが、05年はロシアとの日本海 海戦と講和条約調印、それに東北大凶作。07年は戦後恐慌に足尾、別子銅山の争議で軍隊が出動。早すぎる 晩年は、国内の激動とともにあった。 「時代の科学者が光栄となしつつある大仕掛けなる産業制度とは、実に同胞殺戮[さつりく]の断頭台とも称すべき ものではないか」。健筆を振るった週刊社会新聞の記事にある。鉱工業化で劣悪な労働環境が生まれていること への批判と思われるが、今に置き換えれば、この文章に福島第1原発事故がダブってくる。 田添は少数者による「直接行動主義」を批判し、多数者による平和的な社会変革を呼び掛けた。その死から 105年。原発事故は周辺で人が住めない場所をつくり出した。声高の「デフレ脱却」の一方、所得格差問題は 脇に追いやられた感がある。田添の存在は、そういう今だからこそ重い。(田野弘一郎)
|