- 国家安全保障政策/国家戦略研究スレッドPart6
142 :JTAC[sage]:2020/10/18(日) 01:15:14.16 ID:sXqkXtCD - ナチスは政権基盤は脆いんです。
選挙で合法的に進めたのは「議席数第一党」まで。 過半数とったことはありません。 クーデター(長いナイフの夜)で政敵を殺戮して独裁政治を始めました。 ですが、政権基盤は脆い。 逆に、それゆえに他国を侵略した。金準備を奪うためです。 脆いゆえに自国民に負担になるような政策はとれなかった。 増税もできないし、国債も発効できない。アベノミクスもできません。インフレはトラウマでして。 1939に戦争が始まったのに、産業界を統制する総力戦体制すら作れない。 民需部門は1942まで、あいかわらず民間消費の奢侈品まで生産してた。 逆に戦争が始まって1940にフランスに勝ち、1941にロシアに攻め込み、そして戦局が行き詰まった危機感により、 初めてヒトラーの絶対的な権力が固まった。 そして、1942末にアルベルト・シュペーアが軍需大臣に就任して初めて「総力戦」体制ができました。 その成果の結実がツィタデル作戦の原資。 戦車及び自走砲2,700両、航空機1,800機。 ティーガー1、パンター、エレファント(フェルディンンド)、フンメル自走砲。 だが生憎、連合国の戦時体制は遥かに先を行っていた。 米英は1940年には「総力戦」体制になってた。 ソ連も、結局は工場のウラル移転に伴い「総力戦」体制になりなましたかね。 この「数年」の差が明暗を分けた。 クルスクには、無数の対戦車砲、雲霞のようなT-34/85、Suシリーズ、ラッチュバム、スターリンオルガン。 単位は「万」です。一桁多い。 それもこれも「総力戦」体制を確立の時期、数年の先行で決まった。
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143 :JTAC[sage]:2020/10/18(日) 01:25:03.09 ID:sXqkXtCD - ナチスに長期戦略は無い。
ハウスホーファーの地政学。 東方生存圏を目指して周到に電撃戦→収奪→電撃戦→収奪のサイクルを 歩んできたと言えたら戦略理論的には興味が湧きますが、あいにくそんなものは無い。 その場限りの自転車創業です。 「東方生存圏」は「我が闘争」でも言及してますが、総統になってから振り返り 「俺も青かった・・・・」と反省の弁を述べています。 ヒトラー本人曰く「あんな古い本のことは勘弁して。当時は若かったんや。」
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144 :JTAC[sage]:2020/10/18(日) 01:31:00.43 ID:sXqkXtCD - ポーランドを潰して、フランスを潰した後、ヒトラーも迷った。
「己の権力強化」という究極の目的は達成した。 フランス戦の勝利者ヒトラーに異をとなえる者はドイツ国内にはいない。 それがバトル・オブ・ブリテン前のモラトリアムになった。 二ヶ月ほどイギリスとの講話を模索して止まった。 この黄金の時間にダウディングはイギリスの防空戦を立て直した。
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145 :JTAC[sage]:2020/10/18(日) 01:48:12.08 ID:sXqkXtCD - いまだに「ナチス」「ナチス」とレッッテル貼りする連中はいますが。
スレレオタイプの「ナチス」が出た瞬間。 自分の中では、そいつは「アホ・カテゴリー」に入れます。 そんな連中に限って、さらに悪質で選挙の洗礼を受けたこともない独裁者・習近平に協力してたというw 笑えますねw いや笑えないか。
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