- 秀吉による朝鮮征伐の軍事分析part12©2ch.net
728 :名無し三等兵[]:2020/06/24(水) 04:01:22.02 ID:0DiBGT73 - この調子だと露梁海戦をかの国でどう創作物で描くのかな?
1.日本側:主要武将の戦死者なし。 明・朝鮮側:明軍副将ケ子龍、朝鮮軍主将李舜臣、李英男(加里浦僉使)、方徳龍(樂安郡守)、高得蒋(興陽県監)、李彦良等の将官戦死 2.日本側の目的である、小西軍の順天城撤退に無事成功。 3.日本側の参加者、島津、宗、立花兄弟、小早川秀包、筑紫等は2年後に遠く九州を離れて 関ケ原や大津城攻撃で勇戦している。この間、島津は庄内の乱を経験しているのに。 約10年後、島津は琉球に侵攻している。 露梁海戦での被害が大きくなかったのではないか? 島津、宗は幕末まで領地を維持し、立花兄弟は関ケ原後に改易になるが大阪の陣後に旧領復帰。 損害を領民からの収奪でカバーしたのなら無理な話である。 どう見ても、日本側のパーフェクトゲームなのだが。
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729 :名無し三等兵[]:2020/06/24(水) 04:12:27.76 ID:0DiBGT73 - 連投スマン。
日本側の苦戦という記録を疑っている。 日本側の大名にすれば、既に朝鮮撤退が決まった後の小西救援という手伝い戦。頑張っても、恩賞は期待できない。 参加しなければ減封、改易がこわいから、イヤイヤ参加したのではないか? 従って、明・朝鮮と露梁で交戦した時点で義理は果たしたわけで、 後はできるだけ損害が少ないように撤退したかったのではないか? 順天城まで救援にいかなかった言い訳に苦戦と記録に残したのではないか? 逆に明。朝鮮側は日本側のこの意図を見誤り、計画的撤退を敗走と誤認し、 島津得意の捨て奸、釣り野伏の餌食になったのではないか?
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731 :名無し三等兵[]:2020/06/24(水) 11:01:51.59 ID:0DiBGT73 - 確かに露梁海戦の結果、明・朝鮮軍に大打撃を与え、撤退を容易にしたのは事実。
しかし、撤退を考えている以上、できるだけ多くの兵を撤退させたいと考えるハズ。 戦国大名は職業軍人と異なり軍人であると同時に為政者で、 露梁戦含め戦闘の被害は自分で負わなければならないので、味方の被害には敏感。 李舜臣の戦死は伝えられる状況からみて捨て奸の戦果っぽいし、 島津義弘が明・朝鮮軍に包囲され戦死を覚悟したのを他家含む味方の救援で脱出した一方で、 攻撃を仕掛けた側の明軍の主将陳璘が日本軍の包囲から危うく逃れたというのは、釣り野伏っぽいと思う。
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733 :名無し三等兵[]:2020/06/24(水) 21:58:16.22 ID:0DiBGT73 - 島津も立花も釣り野伏には慣れているので、事前に作戦を立てていなくても
現場の判断で対応できたのではないか? 乱戦になったのは事実だろうが、立花は索敵に力を入れたが、島津は索敵を怠った (このことで、島津のやる気に疑問に思う)にも関わらず、 待ち伏せして挟撃した明・朝鮮側で将官の戦死が相次いだことを考えると、 (しかも、立花は、60隻の敵船を捕獲)日本側の現場対応力の高さがわかる。 急ごしらえの大名の寄せ集めだったのが、かえって各軍の高度な自己判断につながった のかもしれない。
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