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名無し三等兵
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238 :名無し三等兵[sage]:2020/01/12(日) 23:26:51.97 ID:1Q68a/Y8
日本で最初の制式軍用銃の開発者せ、自身も超一流の狙撃手だった村田経芳(薩摩藩士出身)の理想は、薩摩を基本にスイス式を取り入れた国民皆狙撃民兵制だったんだが、
正規軍に国産銃を支給するだけで手一杯の貧乏日本としては当然受け入れられるところではなく、同郷の初代文相・森有礼に助言して初等教育への兵式体操、季節事業としての行軍訓練(遠足の起原だ)など取り入れる一方、
軍用銃としては廃銃になった村田式小銃のボルトアクション機関部を再利用した狩猟用散弾銃の普及で、狙撃技量の普及を図った。後には注文生産にも応じてる。所謂マタギの村田銃だな。

で、アメリカの修正第二条が暴政抑止を念頭においてるって話同様、民兵としての狙撃技量持ちが国内に沢山存在すると、内乱の時えらい事になるわけで、実際西南役でそうなった。
村田自身も出征して狙撃戦で活躍する一方、撃たれて負傷している(森への助言や村田銃事業はその後だ)。
村田の信念はさておき、士族反乱から自由民権運動で揺れ動きつつ対外進出を志向した明治政府に、国内防衛専念の狙撃民兵制を受け入れる余地はなかったと思う。


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