- 【傑作機か】四式戦闘機疾風Part27【欠陥機か】
187 :名無し三等兵 (ワッチョイ 4f84-wxDY [49.128.130.98])[]:2019/09/11(水) 21:07:18.55 ID:zL2VG2EQ0 - 桂林、柳州攻略の航空支援
・・・・前略・・・・ 第五航空軍は十月末前後、自隊の後方補給のための船舶輸送掩護に戦闘隊の 主力を使用した。 第十一軍の桂林攻撃は十一月九、十日に成功した。第二十三軍の柳州攻撃も十日 に成功した。この地上戦闘間、下山第五航空軍司令官は衡陽に進出して指揮した。 すなわち、戦闘隊による戦場制空、襲撃、軍偵部隊による偵察攻撃を反復した。 そして双軽には依然、敵の前進基地と判断される柳州、安康、シ江、雲南、老河口 の飛行場攻撃を継続し、相当の戦果を報じた。 以上の桂柳攻略作戦は、国軍の近代的最高潮作戦であったレイテ決戦作戦と全く 同一時期に、約二、〇〇〇粁の距離を置き、支作戦の前者が一〇コ師団、飛行約 二〇コ中隊(約一五〇機)で成功し、主作戦の後者が約三個師団、飛行六〇コ中隊 (約二〇〇機)で失敗する奇妙な対照結果となった。 <戦史叢書 陸軍航空の運用<3>―大東亞戦争終結まで―(朝雲出版社)> 十九年春〜二十年初めに実行された一号作戦は、国軍に前例のない大規模 のものであり、陸上戦略指導としては大成功と感じられるものである。しかし B−29の本土空襲は阻止できず、太平洋方面における我が主作戦の敗勢を救う べくもなかった。この間における中國航空作戦は、数質ともに次等の戦力で よく靭軟な奮闘を続けた。中國方面に有力な米陸空軍部隊を吸引牽制し、 しかも彼我主力の決戦方面に対し、その決定的な攻撃威力を及ぼさせなか ったことは、わが中國方面空地作戦の隠れた戦略的成果と評価すべきである。 しかし問題は、中國方面にあった陸軍戦力を、国軍主力の決戦作戦方面に対し、 より有効に直接参加させる戦略方策の有無であり、それは更に深刻な別途の研究 にまたねばならない。 これを要するに、陸軍航空の基本的体質に大きな影響を与えた中國航空作戦は、 支那事変間と大東亞戦争間とにおいて、その様相が著しく変化した。前者は敵が 弱体な中國空軍であり、後者は敵が強力な米陸空軍であり、航空撃滅戦、 制空権の獲得に最大の努力を傾注しなければならなかった。 < 中国方面陸軍航空作戦 / 防衛庁防衛研修所戦史室‖著 / 朝雲新聞社 , 1974 ( 戦史叢書 ; [74] )>
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