- ジャップ軍(WW2)の弱さを語ろう
322 :名無し三等兵[sage]:2018/05/17(木) 06:42:39.37 ID:Tu7qG3TP - >>320
外道戦術だが戦果はすごかった 日本軍の特攻に対する米軍の評価 チェスター・ニミッツ元帥(太平洋方面最高指揮官・太平洋艦隊司令) 「神風特別攻撃隊という攻撃兵力はいまや連合軍の侵攻を粉砕し撃退するために、長い間考え抜いた方法を実際に発見したかのように見え始めた」 「もう持ち堪えられない」 「海軍は、毎日1.5隻ずつ艦船を失っている。その為、五日以内に第一線が動かなければ、このいまいましいカミカゼから逃れる為に、 他の誰かを司令官に変えて前進させるぞ。」 「我が海軍が(沖縄戦で)被った損害は、大戦中のどの海戦よりもはるかに大きかった。沈没30隻、損傷300隻以上、9000人以上が死亡、行方不明または負傷した。 この損害は主に日本の航空攻撃とくに特攻攻撃によるものであった。」 ダグラス・マッカーサー元帥(南西太平洋方面最高司令官) 「カミカゼが本格的に姿を現した。この恐るべき出現は、連合軍の海軍指揮官たちをかなりの不安に陥れ、連合国海軍の艦艇が至るところで撃破された。 空母群はカミカゼの脅威に対抗して、搭載機を自らを守る為に使わねばならなくなったので、レイテの地上部隊を掩護する事には手が回らなくなってしまった」 「大部分が特攻機から成る日本軍の攻撃で、アメリカ側は艦船の沈没36隻、破壊368隻、飛行機の喪失800機の損害を出した。 これらの数字は、南太平洋艦隊がメルボルンから東京までの間に出したアメリカ側の損害の総計を超えている」 「特攻機は我々の軍艦を狙っているが、ほとんどの軍艦は一撃をくらっても耐えうるだろう。 しかし、もし奴らが我々の軍隊輸送船をこれほど猛烈に攻撃してきたら、我々は引き返すしかないだろう。」
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323 :名無し三等兵[sage]:2018/05/17(木) 06:43:26.51 ID:Tu7qG3TP - >>320
レイモンド・スプルーアンス中将(第五艦隊司令) 「特攻は非常に効果的な兵器で、我々はこれを決して軽視することはできない。私は、この作戦地域内にいたことのない者には、 それが艦隊に対してどのような力を持っているか理解する事はできないと信じる」 「特攻機の技量と効果および艦艇の喪失と被害の割合がきわめて高いので、今後の攻撃を阻止するため、 利用可能なあらゆる手段を採用すべきである。第20空軍を含む、投入可能な全航空機をもって、九州および沖縄の飛行場にたいして、 実施可能なあらゆる攻撃を加えるよう意見具申する」 「沖縄に対する作戦計画を作成していたとき、日本軍の特攻機がこのような大きな脅威になろうとは誰も考えていなかった。」 ウィリアム・ハルゼー(第三艦隊司令) 「いかに勇敢なアメリカ軍兵士と言えども、少なくとも生き残るチャンスがない任務を決して引き受けはしない」 「切腹の文化があるというものの、誠に効果的なこの様な部隊を編成するために十分な隊員を集め得るとは、我々には信じられなかった」 「情報部から我々に対して、カミカゼが編成されたという警告が送られてきたが、 我々の内大半の者はそれをこけおどしや張子の虎であると受け取っていた」 「少なくとも、(特攻に対する)防御技術が完成するまでは 大兵力による戦局を決定的にするような攻撃だけが、 自殺攻撃に高速空母をさらすことを正当化できる」 ジェームズ・フォレスタル(海軍省長官) 「海軍による沖縄上陸作戦への継続的な支援は困難な業務であり、高価な代償を伴うものであることをアメリカ国民の皆様に理解して頂きたい」 オリバー・P・スミス大将(海兵隊副参謀長) 「バックナー(沖縄攻略部隊司令)には、沖縄近海に展開している海軍が、特攻による甚大な損害に耐えている間に進撃を加速させろという 大きなプレッシャーが加えられていた。」→その後バックナーは戦死
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324 :名無し三等兵[sage]:2018/05/17(木) 06:43:57.08 ID:Tu7qG3TP - >>320
ダニエル・バーベイ少将(アメリカ海軍第7水陸両用部隊司令) 「日本航空部隊の実力に対して何の疑問もなかった。オルモック湾(フィリピン戦)での特攻による戦果が 日本航空部隊の実力に対する疑問を残らず拭い去った」 「日本軍は自殺機という恐るべき兵器を開発した。日本航空部隊がその消耗に耐えられる限り、 アメリカ海軍が日本に近づくにつれて大損害を予期せねばならない。」 モートン・デヨ少将(第54任務部隊司令) 「駆逐艦の消耗具合が容易ならざる水準に達している」 リッチモンド・K・ターナー中将(アメリカ海軍水陸両用部隊司令) 「艦隊より優秀な艦を選んでレーダーピケット艦としたが、それはそのピケット艦と乗組員に対する死刑宣告も同然だった」 サミュエル・モリソン少将(アメリカ海軍公式戦史著者) 「ゼウス神の電光の様に青空からうなり出てくる炎の恐怖」 「かつてこのような炎の恐怖、責め苦の火傷、焼けつくような死に用いられた兵器は無かった
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325 :名無し三等兵[sage]:2018/05/17(木) 06:44:50.98 ID:Tu7qG3TP - >>320
アメリカ軍の特攻による人的損失 戦死12000人 負傷33000人→多くが再起不能の重症 精神障害50000人 合計10万人 4000名の特攻隊員でこの戦果だからキルレシオ20倍以上 →これだからね 人命重視のアメリカはたまらん
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326 :名無し三等兵[sage]:2018/05/17(木) 06:45:59.11 ID:Tu7qG3TP - >>320
外道戦術を恥じた日本軍では指揮官の多くが自決したり自ら特攻した 一方でナチは(笑) ■陸軍特攻の責任者⇒阿南陸軍大臣⇒終戦前自決 ■陸軍特攻開始時の責任者⇒杉山元陸軍大臣・参謀総長⇒終戦後自決 ■神風特攻の発案者⇒大西中将⇒終戦直後自決 ■特攻開始時の軍令部次長⇒伊藤中将⇒大和特攻で戦死 ■沖縄海軍特攻の主力部隊の司令官⇒宇垣中将⇒特攻で死 亡(終戦後の為戦死ではない) ■人間魚雷回天の発案者⇒黒木大尉・仁科中尉⇒黒木大尉は回天訓練中事故死、仁科中尉は回天特攻で戦死 ■桜花部隊・神雷部隊司令官⇒岡村大佐⇒終戦後特攻隊員の慰霊巡りをしたのち自決 ■白菊特攻隊司令官⇒加藤大佐⇒終戦時に部下が止めるのを聞かず井戸に飛び込んで自決 ■航空特攻の提唱者⇒城大佐⇒空母千代田で米軍巡洋艦隊と撃ち合って戦死 ■航空特攻開始を主張⇒有馬少将⇒自ら陸攻で特攻出撃し戦死 ■陸軍航空本部長で特攻を指揮⇒寺本熊市中将⇒「天皇陛下と多くの戦死者にお詫びし割腹自決す」と切腹 ■第4航空軍元参謀長(冨永の部下)⇒隈部正美少将⇒閑職に更迭後終戦時に家族全員と自決 ■陸軍特攻機の開発責任者⇒陸軍航空技術審査部員水谷栄三郎大佐⇒終戦時に手榴弾で自爆 それに対しナチの特攻推進者ときたら草しか生えませんよw ■ハヨ・ヘルマン 日本軍のカミカゼにインスパイアされて、ナチ版特攻隊エルベ特別攻撃隊を編成。 一回目の出撃で大失敗。 そのまま生き延びてソ連捕虜から解放されたあとは弁護士となって幸せな生活、ナチ擁護とホロコースト否定を主張し続け97歳で大往生。 ■ハンナ・ライチュ ナチの女性テストパイロット、ヒトラーに気に入られたので、V1飛行爆弾を特攻兵器化を主張し採用される。その後も特攻隊レオニダス隊の編成を進言し採用、36名のパイロットが軍艦でも航空機でもない、橋に特攻させられ無駄死に。 ライチュはヒトラー自決前にベルリンの総統防空壕逃亡、戦後はグライダーパイロットして人生をおう歌、独身貴族のまま67歳の天寿を全う。 ■オットー・スコルツェニー ライチュと特攻隊レオニダス隊の編成に尽力 当然に終戦時に死なず、捕虜収容所からも脱出、南米でナチ戦犯の脱出に手を貸し、アルゼンチンで会社経営、多大な資産を作り幸せに天寿を全う。
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327 :名無し三等兵[sage]:2018/05/17(木) 06:46:24.72 ID:Tu7qG3TP - >>320
日本軍の特攻は米軍に大損害を与えてマックやニミッツに小便ちびらせた ソ連の特攻タランはモスクワを守りきった 一方ナチのエルベは(笑) 体当りすらできないナチパイロット ヒロポンチョコの食い過ぎだな
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328 :名無し三等兵[sage]:2018/05/17(木) 06:47:49.39 ID:Tu7qG3TP - >>320
どんなに日本軍の人命軽視がバッシングされても 【ナチは軽視どころかわざわざ自国民を殺した】で常に完全論破できる。 ドイツ軍の崩壊が進み、将軍たちが部隊に与えることができるのは、信念と全滅だけだった。一般市民も、文字通り最前線に配置された。 オットー・ゲオルク・ティーラック法相は1945年2月15日に略式軍事法廷を設置する命令を発した。 『敵軍が迫りつつある防御領域』に設けられ、『臆病や利己心』のために『一般市民に対する自らの義務を回避』しようとした全ての者に対し『必要な厳しさをもって』対処することとなっていた。 その権限は『ドイツ人の戦闘力と戦意が危機にさらされる行為』全般に及ぶ。 判決は三種類しかなかった。死刑か無罪、あるいは別の裁判所への引き渡しである。 すでに戦争が終盤に入った頃に、ナチは自殺は称賛するようになっていた。 1945年春のドイツには死体があふれ、国中の人々が自殺者を目にしていた。 ドイツ軍の崩壊後、自殺は大衆現象と言っていいほど一般的になっている。 すべてが破壊されたことによる無気力と絶望感から、数万人のドイツ人が自殺するに至った。 メクレンブルクの小さな町テテロウの埋葬記録には120件の自殺の詳細が示されている。 銃、首吊り、入水、服毒に加え、父親が家族全員を殺したあと自殺するケースも多かった。 アントニー・ビーヴァー『ベルリン陥落1945』
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329 :名無し三等兵[sage]:2018/05/17(木) 06:49:19.42 ID:Tu7qG3TP - >>320
どんな日本軍へのバッシングも【ナチよりは国民を大事にしてた】で常に完全論破できる。 日本軍は沖縄で手榴弾を渡して、自決を促しただけだが ナチ海軍の名将()デーニッツは『戦闘で死ぬか絞首刑にされるか好きな方を選べ』と国民に窮極の選択()を行わせていたwwwwww 勝算もないのに、戦い続けるため『狂信的な意志』を示すために、ヒステリックな要求が出された。 カール・デーニッツも、もっともけたたましい叫びをあげた一人である。 戦後デーニッツは、自分が部隊とドイツ国民の生存を気遣った責任ある軍指導者だったと主張しているが、 無条件降服のわずか数週間前にあたる1945年4月7日、デーニッツは全海軍士官に最後の最後まで戦うことを求めている 『軍務によっては勇敢で、毅然として、忠実な、敵の行く手を阻む一枚岩になることができる。 そのように行動できないものはろくでなしだ。そんなヤツは【ここにぶら下がってるのは裏切り者】というプラカードをくくりつけて絞首刑に処さなければならない』 Heinrich Schwendenmann『1945年末のドイツ』
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331 :名無し三等兵[]:2018/05/17(木) 06:51:29.77 ID:Tu7qG3TP - >>320
航空特攻によるアメリカ軍空母部隊の特攻による損傷艦と死傷者 ナチには無理な芸当だな 【第58任務部隊第1群】[TG58.1] ワスプ 1945年3月19日九州沖航空戦で大破 戦死者101名 負傷者269名 ベローウッド 1944年10月30日フィリピン戦で大破 戦死者92名 負傷者56名 サン・ジャシント 145年4月6日沖縄戦で損傷 戦死者1名 負傷者5名 【第58任務部隊第2群】[TG58.2] レキシントン 1944年11月5日フィリピン戦で大破 戦死者50名 負傷132名(沖縄戦開始時は本土で修理中) エンタープライズ 1945年4月11日及び5月14日、沖縄戦で損傷と大破、合計戦死者18名 負傷者86名 ランドルフ 1945年3月11日ウルシー環礁で中破 戦死25名 負傷者106名 フランクリン 1944年10月30日フィリピン戦で大破 戦死者56名 負傷者14名 【第58任務部隊第3群】[TG58.3] タイコンデロガ 1945年1月21日台湾沖で大破 戦死者144名 負傷203名(沖縄戦開始時では本土で修理中) エセックス 1944年11月25日フィリピン戦で中破 戦死者15名 負傷者44名 ハンコック 1945年4月7日沖縄戦で大破、戦死者62名 負傷者71名 バンカーヒル 1945年5月11日沖縄戦で大破、戦死者402名 負傷者264名 カボット 1944年11月25日フィリピン戦で損傷、戦死者36名 負傷者16名 バターン 1945年4月18日沖縄戦で損傷、戦死者9名 負傷者50名 【第58任務部隊第4群】[TG58.4] イントレピッド フィリピン戦1944年10月30日損傷、1945年11月25日大破、九州沖航空戦1945年3月18日損傷、沖縄戦1945年4月16日大破、戦死者合計97名 負傷者236名 ラングレー 1945年1月21日台湾沖で損傷 【第58任務部隊第5群】[TG58.5]※硫黄島戦時に編成 サラトガ 1945年2月21日硫黄島戦で大破、戦死者123名、負傷者192名(沖縄戦開始時は本土で修理中) 第58任務部隊の20隻の正規空母・軽空母の内、特攻で損害を受けた事のない艦はたった4隻である。
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