- 【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る28 [無断転載禁止]©2ch.net
467 :名無し三等兵 (スフッ Sd14-bEqF [49.104.50.209])[]:2017/08/08(火) 11:29:16.63 ID:rZQxiwXPd - >>465
>>456 American casualties were also high. Ground combat losses for the Sixth and Eighth Armies were almost 47,000, some 10,380 killed and 36,550 wounded. Non-battle casualties were even heavier. From 9 January through 30 June 1945, the Sixth Army on Luzon suffered 93,422 non-combat casualties, including 260 deaths, most of them from disease. The Battle Of Luzon Compared With Other Battles Of World War II http://6thinfantry.com/6thinfantry/the-battle-of-luzon-compared-with-other-battles-of-world-war-ii/ >the Sixth Army on Luzon suffered 93,422 non-combat casualties, 一つの例外をのぞき、ルソン島で第六軍の麾下部隊となった全師団は、少なくとも以前に一度、 作戦に投入されたことがあり、それら師団の大半は二度、戦闘を経験した。六個師団全将兵の 三分の一にも達する隊員が、三年間も海外に派遣されたままであった。これらの隊員は疲れ、 戦いにうんでいたが、休息したり、気力体力を回復するための時間をあたえられていなかった。 補充部隊の到着は遅々としており、またその員数が欠員をうめるには非常に足りなかったので、 第六軍は非戦闘員の死傷により生じた定員不足は、うめることができなかった。 「ドキュメント神風 下」(デニス・ウォーナー ベギー・ウォーナー 妹尾作太男 徳間文庫)
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468 :名無し三等兵 (スフッ Sd14-bEqF [49.104.50.209])[]:2017/08/08(火) 11:30:16.31 ID:rZQxiwXPd - >>456
ルソン山中に籠った日本軍の足止めで米軍は大損害を被ったってアメリカが言ってんだけど 全ての事例において、 連合軍の戦死者 1 名に対して 2〜3 名の兵士が負傷のため戦列を離れその多くが生涯残る障害を負った。 ルソン島と沖縄ではアメリカ軍戦闘要員の約 50%が死傷したのである。硫黄島では、アメリカ軍死傷者の総計が日本軍のそれを上回っていた。 こうした死傷者の規模と比率は重要であった。 なぜなら、1944 年後半以降、日本軍の戦略策定者たちは、どれほど一方的な戦いで国民に重い代償を課すとしても、 人員 1 名の損失と引き換えにアメリカ人の意志を打ち砕くという新しい戦略を研究していたからである。 彼らの狙いは、アメリカ政府に、天皇制と国体の護持、さらにおそらく一部の海外領土の領有を認める条件付き和平を受け入れさせることであった。 この戦略を実現するには、アメリカが日本に侵攻し、信じがたいほどの大損害を蒙って攻撃が頓挫し、一方日本は継戦能力を誇示する、ということが必要であった。 http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2009/10.pdf
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469 :名無し三等兵 (スフッ Sd14-bEqF [49.104.50.209])[]:2017/08/08(火) 11:30:56.84 ID:rZQxiwXPd - >>456
>>465 「沖縄戦はアメリカ軍と日本軍の交戦の中でもっとも苛烈なものであった、 沖縄の占領に莫大な人的、物的代価を払ったことが、原子爆弾の使用に関する決定に大きな影響を及ぼしたことは言うまでもない事である。 アメリカの指導者たちは、アメリカ軍が日本本土に接近するにつれて人的損失が激増する事に疑問をもってはいなかった。 沖縄での経験から、アメリカの指導者たちは日本本土侵攻の代価は高すぎて払えない事を確信していたのである。」 イアン・ガウ『Okinawa 1945: gateway to Japan』 アメリカ軍史上で海兵隊と陸軍の混成部隊は常に活躍してきたが その究極部隊となった沖縄戦の第10軍は第32軍が強すぎて死傷率が50%にも達したから アメリカはあまりの損害に日本本土上陸を躊躇した しかしナチは弱かったからアメリカは躊躇なく赤軍とベルリンに向けて突進した。
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470 :名無し三等兵 (スフッ Sd14-bEqF [49.104.50.209])[]:2017/08/08(火) 11:31:54.79 ID:rZQxiwXPd - >>456
>>465 アメリカ軍の公式戦史によれば、全戦死傷者数は 4 万 9,133 人(うち死者・行方不明者が 1 万 2,520 人)に上った。別の戦史によれば、地上戦における全戦死傷者数は 3 万 9,262 人 (うち死者 6,319 人)で、それに加え「非戦闘死傷者」が 3 万 3,096 人に上ったという。 フランクは次のように述べる。「このように、アメリカの全死傷者は 7 万 7,358 人にも達した。 訓練を受けた[沖縄の:引用者注]防衛部隊の総兵力が 7 万 6 千人であったことを考慮すれば、 これは、日本本土上陸作戦を準備しているさなか、とてつもなく不吉な指標である」 トルーマン大統領は、本土侵攻作戦に関するブリーフィングのために召集した会議において、 「日本本土のいずれにおいても、沖縄が再現されないことを望む」と述べていた。 日本本土侵攻作戦の見通しそのものが明るかったと断言することは困難であろう。 https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/16672/1/fujita_2014_bun.pdf ハーバード大学卒業、冷戦下にモスクワ大学に留学歴があり、世界史の著作を多数執筆している歴史家 ジョージ・ファイファーは、アメリカ側の沖縄戦書籍としては、最も詳細なものの一つとなる著書Tennozan: The Battle of Okinawa and the Atomic Bombの中で「前年の夏にノルマンディを防御した一部のドイツ軍部隊は、 極めて多い死傷者にも関わらず、持ち堪え、逆襲すら行って、連合軍指揮官に強い感銘を与えた。しかし、 ドイツ軍の兵器の多くは日本軍のものと違って、対抗する連合軍の兵器より優れていた。暗い見通しに関わらず、 優れた戦術と忍耐で戦ったドイツ機甲師団も、沖縄で日本軍が示した離れ業には匹敵できなかった(中略) このような状況にくじけることなく、多くの死傷者が出ると言う悲劇にも耐える事ができたのが日本陸軍だけであったろう。」 とノルマンディー上陸作戦のドイツ軍と沖縄戦の日本陸軍を対比している。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6 自動小銃とタイガー戦車のナチ武装親衛隊機甲師団<<<<<<<<<<<<<<38式小銃とチハの大日本帝国陸軍第32軍 ナチ人弱すぎだろJK
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471 :名無し三等兵 (スフッ Sd14-bEqF [49.104.50.209])[]:2017/08/08(火) 11:32:53.74 ID:rZQxiwXPd - >>456
>>465 ところで、マッカーサーの第6軍の兵士の死因のトップは異常な高率の小火器によるヘッドショット 死因の約二割にもなった。 日本軍の38式狙撃はナチのアハトアハトやティーガー戦車よりもバリバリの現役部隊(笑)のアメリカ兵をぶち殺したって知ってたか? Statistics for& Army on Leite indicate that almost half of all fatal wounds were from small arms fire, and a little more than half of fatal small arms wounds were from hits to the torso, with head wounds accounting for about 20% of fatalities. On the other hand, the majority of nonfatal wounds were inflicted by shell or grenade fragments. http://pwencycl.kgbudge.com/C/a/Casualties.htm
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472 :名無し三等兵 (スフッ Sd14-bEqF [49.104.50.209])[]:2017/08/08(火) 11:33:42.39 ID:rZQxiwXPd - >>456
>>465 Pacific Experience" (1.95 dead & missing and 7.45 total casualties/1,000 men/day) "European Experience" (0.42 dead & missing and 2.16 total casualties/1,000 men/day). バリバリの現役部隊(笑)の米兵の死亡率は太平洋戦域の方が4倍以上、観光がてらにナチカス狩りそれが楽勝西部戦線
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473 :名無し三等兵 (スフッ Sd14-bEqF [49.104.50.209])[]:2017/08/08(火) 11:34:28.16 ID:rZQxiwXPd - >>456
>>465 兵士の多くが一八歳の少年だったことから「ダイアパー」(おむつ)師団とのあだ名をちょうだいした 第七十五歩兵師団は、一九四四年の秋、ケンタッキー州ブレッケンリッジ・キャンプで戦闘訓練を 終えようとしていた。元一兵士のハーヴィー・カッツは回想する。 「ある日、われわれは列車に乗せられた。そして、全員じっと座ったまま、列車は西へ行くのだろう か東へ行くのだろうかと考えていた。東へ向かっているのがはっきりしたとき、誰もが歓声を上げた。 行く先はヨーロッパだとわかったからだ」 <日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌 トーマス・アレン ノーマン・ボーマー 181頁> バリバリの現役部隊(笑)のGIたちはジャップとの死闘よりもフランス観光がてらのナチ狩りに行きたがった 楽勝だしな
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