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名無し三等兵
【大東亜の決戦】インパール作戦【帝国陸軍】9 [無断転載禁止]©2ch.net
海・航空・陸上戦考察スレ 戦略・作戦・戦術 その19 [転載禁止]©2ch.net

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【大東亜の決戦】インパール作戦【帝国陸軍】9 [無断転載禁止]©2ch.net
97 :名無し三等兵[sage]:2016/08/25(木) 18:26:44.41 ID:gABp1l1S
>>94
分進合撃をしようとして英軍に確固撃破されてしまった。

という認識ならそのとおり。
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777 :名無し三等兵[sage]:2016/08/25(木) 18:30:45.58 ID:gABp1l1S
>旧軍の抗戦意欲はものすごく高いです

そりゃあ地位も名誉も失ってしまうからね。

でもアメリカが自衛隊を作ったウハウハで入隊。
軍隊で食う飯ってよっぽどうまいんだなw
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779 :名無し三等兵[sage]:2016/08/25(木) 18:47:28.75 ID:gABp1l1S
徹底抗戦!をうたっていた竹下正彦も喜んで入隊。
原四郎も喜んで入隊。
藤原岩市も喜んで入隊。

死んだ兵隊がバカだったな。
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99 :名無し三等兵[sage]:2016/08/25(木) 20:50:53.48 ID:gABp1l1S
>>98
英軍の見解はディマプール占領だが日本軍の作戦はディマプール占領ではない。

15軍は戦車は出てこない、英軍は抵抗しないを前提にしていた。
だから師団は軽装備だった。
どうやって勝てるのか知りたいもんだ。
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101 :名無し三等兵[sage]:2016/08/25(木) 21:06:57.61 ID:gABp1l1S
>>100
軽装備の師団が幾つあっても戦車に踏み込まれたら
どうにもならない。

現に15師団も33師団も戦車に踏み込まれて
手のうちようがなかったじゃないか。
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105 :名無し三等兵[sage]:2016/08/25(木) 21:27:49.84 ID:gABp1l1S
>>102
33師団は時間のロスってないな。

頭を使えば戦車に勝てるのか?
だったらドイツは能無しなんだな。
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106 :名無し三等兵[sage]:2016/08/25(木) 21:28:46.24 ID:gABp1l1S
>奇襲、スピード、

制空権のある相手に通用する話じゃないなw
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108 :名無し三等兵[sage]:2016/08/25(木) 21:32:25.96 ID:gABp1l1S
インド17師団を逃がしたくらいで戦局に影響するなら
なぜ最初から3個師団でインド17師団を攻撃しなかったのかね?
しかも33師団は戦力を3分割w
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109 :名無し三等兵[sage]:2016/08/25(木) 21:34:47.43 ID:gABp1l1S
高木俊朗インパール作戦あとがきより

 それにしても伊藤戦史が、どうして統制前進をとりあげて、柳田師団長を非難する
記述をしたのだろうか。統制前進の問題は、公刊戦史に記してあるように、<<第15軍
側だけが憤慨している>>ことである。とすれば、伊藤正徳氏にこの問題を資料として
提供したのは、第15軍の関係者であったということであろう。
 このように考えて、私は非常な興味を感じた。それは、その資料提供者のことである。
それが誰であるにしても、あのインパール作戦を弁護し、正しかったと信じている人が
いるということだ。あるいは正しいものにしようとしている、というべきだろうか。

そのために、いわば、謀略の資料を提供したのだ。

 その目的は、第15軍と牟田口中将の体面を傷つけないようにするためばかりでなく、
旧陸軍の名誉を保持しようとする意図ではなかろうか。そうしたことが必要になるほど、
インパール作戦間には醜悪で不名誉な事件が続発した。世界戦史にも例の無いことであ
る。インパール作戦はまれに見る非道な戦争であった。
 伊藤戦史が出版されたのは昭和35年である。その時期になって、なお、牟田口中将
の言い分を戦史に残させようと企てた者があった、その執念とも、頑迷ともいうべきも
のの烈々として生きているのに、私はすさまじいものを感じた。
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111 :名無し三等兵[sage]:2016/08/25(木) 21:38:50.37 ID:gABp1l1S
木下秀明大佐の回想
「ほとんど信仰化している軍司令官のこの作戦構想を根本から変更させることは、
余ほどのことがなければ不可能である。「重点をチンドウィン河西方地区に保持し」という表現は
まことに漠然たるもので、一歩チンドウィン河を渡れば、どこまでも西岸である。
 すなわち、方面軍の意図を十分飲み込んでおる者にはわかるが、牟田口将軍には
分かる筈がない。」

太田嘉弘「インパール作戦」
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112 :名無し三等兵[sage]:2016/08/25(木) 21:39:52.20 ID:gABp1l1S
第15師団は第31師団の後退を知っていた。

「6月3日になって更に重大な軍命令が届いた。
その趣旨は「軍はコヒマを放棄し、一部(宮崎支隊)をもって
コヒマ南方および東南方において当面の敵を拒止させ、
第31師団主力を第15師団の左に展開し、総力を挙げて
インパールに向かい攻勢をとる」

この命令は、師団が血みどろの努力で搬送して火砲を捨て、
補給至難な山中に師団を追い込むものであった。


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