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88 :名無し三等兵[]:2016/08/25(木) 00:01:05.19 ID:T60CX4Wq - >>83
インパールの第四軍団の方こそ 戦力を分散して防衛する兵力が無いから インパールで籠城を考えていたんだが? したがってサンジャックの敵が簡単に撤退したように テクノバールも簡単に突破できたはずだし 15師団の進行経路には、4月15日まで途中に 防衛拠点は無いも同然。 したがって33師団も山本支隊も問題なく 3月中にはオンパールへ突入し 15師団との同時攻撃、分進合撃はできたはず。 柳田が意図的にそれを失敗させたに等しい。
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322 :名無し三等兵[]:2016/08/25(木) 00:07:31.56 ID:T60CX4Wq - モレスビー攻略はインパール作戦以上に
補給を全く無視した無謀な作戦としか言いようが無い。
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89 :名無し三等兵[]:2016/08/25(木) 00:09:25.79 ID:T60CX4Wq - 15軍参謀の木下大佐が10年シベリアで抑留された後、帰国し
死の床で書かれた手記。 無念さがにじみ出ている。 「この柳田中将の伝統ルールの破壊に、軍司令官以下幕僚は インパールに対する外線包囲作戦の分進合撃成否の一大危機として 驚愕かつ悲憤し、直ちに前進を電令したが驚くなかれ、更に 作戦中止の意見を述べ、またまた軍の命令に反し約十日間の エンコが続いた事は、外線包囲作戦上の絶大な不利益をもたらせた。 累次の軍の督戦によって、約十日間のエンコの後ようやくミコシを挙げた 柳田師団長は急進をするのかと思いの外、慎重緩慢なる統制前進 の方針を持って前進した。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P323
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323 :名無し三等兵[]:2016/08/25(木) 00:16:16.88 ID:T60CX4Wq - そもそもおかしいのは
海軍が独力でポートモレスビーを攻略しようとしたが 制海権が確保できないので、それは不可能。 だから陸軍が陸路でやってくれと依頼したわけだが その時点で海軍は制海権が確保できないことはわかっていたはずで だったら以後、ポートモレスビーに補給を送ることは 不可能だとわかっていたはず。 であるにもかかわらずポートモレスビー攻略をやるとは 何考えてるんだ?
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90 :名無し三等兵[]:2016/08/25(木) 00:21:45.83 ID:T60CX4Wq - >>86
コヒマから2個連隊を送れたし その程度の兵力差では強襲によって簡単に勝てるわ。 たかがインド師団相手に、こんなにの勝てないようなら 軍人をやめたほうが良い。
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91 :名無し三等兵[]:2016/08/25(木) 00:32:08.39 ID:T60CX4Wq - テクノバールはトイトムとほぼ同じような地形だな。
峠の要衝であることは間違いない。 しかしトイトムは3日で抜かれ テクノバールは3ヶたっても抜けないとは、なにやってるんだ? こんな無能、即刻更迭にすべきだが 山本支隊も柳田師団と同様ふざけている。
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92 :名無し三等兵[]:2016/08/25(木) 00:34:49.28 ID:T60CX4Wq - 訂正
テグノパール これが正しいようだw
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98 :名無し三等兵[]:2016/08/25(木) 20:29:35.93 ID:T60CX4Wq - >>97
作戦失敗は、すべては師団長の 愚かな指揮が原因であり 15軍にはなんの責任も無いわ 本来ならば日本軍は勝っていた。 これは日本でも連合軍側でも 当時の軍関係者の一致した見解。
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100 :名無し三等兵[]:2016/08/25(木) 21:00:04.05 ID:T60CX4Wq - >>99
15師団の2個連隊に攻められただけで 4月前半に英第四軍団は目いっぱいの状態だったと 参謀が証言してるじゃないか。 本来ならば 33師団の3個連隊 15師団にもう1個連隊 31師団から2個連隊 2個連隊ではなく、合計7個連隊で 4月前半に攻めることが出来ていた。 これで負けることは考えられない。
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102 :名無し三等兵[]:2016/08/25(木) 21:11:28.94 ID:T60CX4Wq - >>101
奇襲作戦なのに、柳田のバカはあのようなチンタラした行軍で どんだけ時間をロスしたんだ? まったく頭を使わず 戦車がいるから勝てないとか すこしは頭を使って考えたらどうだ?脳なしw
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103 :名無し三等兵[]:2016/08/25(木) 21:13:27.00 ID:T60CX4Wq - ということで結論
インパール作戦を失敗させた最大の要因は 無能の師団長の柳田と作間連隊の怠慢による。 作間のバカが肝心な時に戦闘しなかったことによる その後の日本の不利な状況に及ぼした影響は計り知れない。 @絶好の防御地点であるトイトムを確保しながら、 ほとんど戦わす敵を素通りさせた。 連隊史は肝心なここでの作間の指揮に関して、なんの記述も無い。 (ビシェンプールでの戦闘では具体的詳細な記載があるのにも関わらず) Aその後、敵はシンゲルで頭を押さえられてマニプール河の谷地で立ち往生し 袋のネズミ状態で。 一気にそれを背後から撃滅する絶好の勝機であったにもかかわらず 傍観してそれをまったく追撃をしなかった。 Bその後、直ちにインパールを追撃するよう命令が出ているにもかかわらず 米を補給するといって数日間も停滞し追撃をしなかった。 (食料は補給せずとも十分だった) C一気にインパールへ突撃できたのに、ビシェンプール手前で わざわざ山も中にこもり停止、敵が前面で防衛ラインを構築していることを ただただ傍観していた。 (4月15日以前、英軍はインパールへ至る経路に、まったく防衛拠点は無かった) D敵が防衛陣地を完璧に構築するまでひたすら傍観し 敵が万全の体制になった後に、結局は総攻撃の命令が出て 作間連隊は突撃して全滅。 (作間は生き残って帰国している)
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104 :名無し三等兵[]:2016/08/25(木) 21:16:11.39 ID:T60CX4Wq - まあ過去の優れた作戦の勝利は全て
奇襲、スピード、これがカギだわな。 それ無しで勝てるわけがない。
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107 :名無し三等兵[]:2016/08/25(木) 21:30:10.51 ID:T60CX4Wq - ■勝機を逸した柳田師団長の統制前進。
牟田口中将の怒りはもっともであった。・・・ インパール作戦の成否はただ突進にかかっているというのに、 肝心の第三十三師団があえて前進をしぶっている。 軍司令官に不満があり、作戦に自信が無ければ、 作戦開始前に辞任すべくである。 戦闘の最中にふてくされるのは、まさしく統帥違反であり、 友軍を無視した無責任な態度といわなければならないからである。 はたして、柳田師団の「漸進」は戦局にに重大な影響を 及ぼしてしまった。 児島 襄『太平洋戦争』 アーサー・スウィンソン著「四人のサムライ」は、 柳田中将を「アメリカの将軍」と呼び、 「かつて唯の一度も精神的には、この作戦に身を入れることがなかった。 そして今はこれらを自らの不能のまま運委せで行こうとしている」 と記述している。 大田嘉弘『インパール作戦』 P317 師団の急前進を促すべく、軍の参謀藤原岩市少佐は兵団司令部に急行し、 切々として柳田を説き、慎重居士の腰をあげさせようと努めた。が、 柳田がようやく腰をあげたのは、それから一週間の後であった。 この時期における一週間は、実に戦勢を支配する重大な一週間であった。 柳田はようやく腰をあげたといっても、その前進は、牟田口が要求した 「急進」ではなくして「漸進」であった。 伊藤正徳『帝国陸軍の最後-死闘篇』
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110 :名無し三等兵[]:2016/08/25(木) 21:36:00.91 ID:T60CX4Wq - インパール作戦で最も奮戦し最大の被害を出した60連隊が
その連隊史において、暗に高木俊朗の書籍の内容を 「局外者の推理やエゴイズムによる創作」だとして 事実ではないと否定している。 『二つの河の戦い―歩兵第六十聯隊の記録 ビルマ篇』 「隣接友軍の無通告退却のために、直接の被害者となったわが右突進隊は、腹背の敵から挟撃されて、 推定260名以上に及ぶ犠牲者を出す運命の日となった。」 「損害の主因が戦場のルールと道義を無視した隣接部隊の友軍にあったという紛れも無い事実によって、 戦後なお敵に対するよりも、さらに激しいある種の感情を捨てきれない宿命を背負っている。」 「同じ戦場で同じ目的のために、死力を尽くしあってきた同胞に対し、ここに問題を提起して 新たな対立感情を起こすことは回避したいと思うし、この記録の目的とするところではないが、 「わが連隊の記録」への投稿者の戦友のうちには、この間の感情に対し、激烈な非難をこめたものが少なく無い異常さがあった。」 「歴史が単に局外者の推理やエゴイズムによって、創作されるとしたならば、それは恐るべきことである。 しかもこの形式が、ひとたび活字となった場合には公刊、非売、限定等の形式に関わらず、また内容の 当否は別として、既成事実化し、真実は葬り去られるのが世の常である。」 大田嘉弘『インパール作戦』 P424〜
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