トップページ > 考古学 > 2021年04月08日 > voE90AmO

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出土地不明
弥生人は劣等人種?
蝦夷の研究

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弥生人は劣等人種?
477 :出土地不明[]:2021/04/08(木) 08:57:52.98 ID:voE90AmO
>>475
かなり真実くさい
蝦夷の研究
93 :出土地不明[]:2021/04/08(木) 09:00:19.46 ID:voE90AmO
山梨大学の現在の研究課題 蝦夷の真相解明まであと2年 震えて眠れ

エミシとは誰だったのか:全ゲノム解析で明らかにする東北古代人の遺伝的変遷
研究期間 (年度) 2020-04-01 - 2023-03-31
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-20H03332/

 >宮城県の五松山洞窟(6世紀)から出土した人骨群では、その多くが西日本の弥生人に似た扁平性な顔を持つ中、
 >少数だが縄文人的な顔貌の個体が混じり、成人男性2体の頭蓋に北海道アイヌとの類似が認められた。
 >大和朝廷の最前線に位置する五松山の当時の状況から、
 >東北北部には、仙台平野以南とは異なった形質の人々が住んでいた可能性を指摘している。
蝦夷の研究
94 :出土地不明[]:2021/04/08(木) 09:00:59.84 ID:voE90AmO
奴隷にされた蝦夷と隼人

 >朝貢の儀式(710年)では、天皇が大極殿に出御し、エミシとハヤトを参列させた。
 >皇城門外の朱雀路の東西に騎兵が整列する中、左右の将軍・副将軍がエミシとハヤトを率いて行進するという
 >一種の見せ物的なパレードであった。(『続日本紀』和銅3年正月元日の条)
 >エミシとハヤトは「蛮夷」とされ、天皇の権威と支配拡大の誇示に、屈辱的な形で利用されたのである。
蝦夷の研究
95 :出土地不明[]:2021/04/08(木) 09:01:08.83 ID:voE90AmO
蝦夷の民は最下層民として扱われた

 >滋賀県甲賀郡信楽町の玉桂寺の阿弥陀如来立像の胎内から
 >発見された文書には、「エソ三百七十人」の男女の名前が記されていた。
 >東北地方の住民説、越中の住民説、近江の俘囚の子孫説が唱えられている。

 >エソの人名には、「きみこ」(君子・吉弥侯=毛野氏と同祖)のように古代の東北地方に多い姓もみえるが、
 >ほとんどは無姓であり、それらの名には、「いぬ」「くま」「うし」などの動物名、
 >「とち」「まつ」などの植物名、「むさし」(武蔵)「たんバ」(丹波)などの国名、
 >「やくし」(薬師)「くわうをん」(観音)などの仏菩薩号、「かなわう」(金王)「ふくわう」(福王)などの童子名に因むものが多い。
 >これらは、非人などのような最下層民の名前の特徴と共通している。

表13 「エゾ交名」にみえる姓
https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/fukui/07/kenshi/T2/2-h013.jpg
弥生人は劣等人種?
479 :出土地不明[]:2021/04/08(木) 17:52:37.95 ID:voE90AmO
>>478
韓半島の初期青銅器文化と初期弥生文化 突帯文土器と集落を中心に 李 亨源
doi: http://doi.org/10.15024/00000264

[論文要旨]

韓半島の突帯文土器は、青銅器時代早期の指標土器として前期まで存続する。西日本の突帯文土器は、縄文晩期後半の指標土器として位置づけられていたが、灌漑式水田稲作が伴うことが明らかになった1980年代以降、弥生早期に再設定された経緯がある。

韓国の研究者たちは韓半島の青銅器人が九州北部に水田稲作を伝え、西日本の突帯文土器の成立に深く関わったと考えてきた。しかし日本の研究者たちは、弥生早期の夜臼I式土器は、縄文土器から内部発展したものと考え、両地域の突帯文土器の間にあまりにも年代差が大きいことや、畑作と水田稲作という生産基盤の違いが存在することなどから、両者の関連を否定してきた。

今回、新たな資料をもとに再検討した結果、韓半島の突帯文土器文化は前期後半や前期末まで存続していた可能性が高まったことで、年代差がほとんどみられなくなった。突帯文土器文化は東アジア的な観点から考える必要があり、中国東北から韓半島、日本列島に至る広範囲の地域で文化伝播が発生した。

人びとの移住が背景にある可能性が高いが、器形には地域のあいだに違いが見られる。中国東北の突帯文土器文化が韓半島へ南下する時には、住居構造などを維持しつつ、土器相には多少の変化がみられることに対し、韓半島南部から西日本への影響は突帯文の文様に限定されている。

突帯文土器文化と松菊里文化はある程度の時間差をおいて西日本に伝わったが、突帯文土器が文様のモチーフに限定された反面、松菊里文化は文化全般が拡散したと考えられる。


――日本考古学では渡来人という用語を使用しているが、筆者は韓半島の立場からこの問題をみているので、海を渡って日本列島に行くという意味をもつ、渡海あるいは渡海人という用語を使用する。

――無文土器時代という名称を使用する場合は無文土器人が適切であるが、筆者は青銅器時代という名称を使用するので、韓半島の青銅器時代の人びとを青銅器人と称する。


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