- 日本の古代史 Part38
907 :出土地不明[]:2019/11/14(木) 10:21:23.86 ID:fITsjSOX - >>900
宇佐族(月の女神=月読命を信仰する故にウサギ族と自称していたのが宇佐(兎狭)族に変化した)の渡来。 次にインドからシベリア経由でドラビタ族=出雲族が渡来。 彼らは青銅器や製鉄技術を有していた。 陸稲栽培、蕎麦(シベリアのバイカル湖周辺に自生していたモノ)ほか等を持ち込んだ。 信仰はシバ。サラバスティ。ガネーシャ。龍蛇神。 これが日本初の人格神、家族神として体系化されてシバ神は民族を誘い導いた英雄のクナト王と習合してクナト大神(後にイザナギ、大山祇ほかにバブルする)。 サラバスティに太陽の女神ほかも習合して后/女神の幸媛命/佐毘女神(およそ我が国の女神はこの女神さまのバブル(イザナミ。太陽の女神/天照大神。 ガネーシャは象が畏怖され神格化した象の頭の神さま。 ドラビタ語で突き出たモノ/大きな鼻(いずれも男性性器の比喩)の意味のサルタ彦大神に。 龍蛇神の原形は、川鰐が神格化されて川の神に、森のコブラ(が畏怖され)神格化されて森の神になり、 それらが混合して体系化した神格。 神話等で、大蛇(オロチ)やワニと表現されていたらそれは出雲、出雲族の比喩/暗喩です。 次に、中国大陸から徐福が前後併せて五千人を引き連れて渡来しました。 いわゆる、弥生時代とは徐福ら秦国人らが渡来してもたらし、無理やり幕開けさせたらしい。 彼らは一説にイスラエル/ユダヤの遺民の子孫たち。 信仰は徐福が道教の方士だったことから当然ら道教です。 最初の渡来で引率し山陰地方/出雲王国に至った二千人らが初期の大和王朝(海(天)ムラクモ大王(徐福の孫))を開きます。 海部/尾張氏の流れ→秦族。 二度目には三千人を率いて渡来し、佐賀の吉野ヶ里に定住して帰化しました。 秦国人が築き上げた国だ!との自負から「筑秦国」を号したのが筑紫国(物部王国)に変化しました。 彼らは後に物部族と言われます。
|
|