- 日本の古代史 Part38
876 :出土地不明[]:2019/11/05(火) 10:21:20.05 ID:QXdoZseo - 日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。 その時代差、約6500年。 その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、 4000年前にはすでに戸建ての時代である。 商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には 瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。 縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。 中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
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- [ルーツ]日本人の起源は?その2
861 :出土地不明[]:2019/11/05(火) 10:22:48.18 ID:QXdoZseo - それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を 含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの 集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。 この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる 寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮 から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、 北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系 民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。 日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋
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- 長江・江南を提唱している考古学者など一人もいない
467 :出土地不明[]:2019/11/05(火) 10:23:30.99 ID:QXdoZseo - >>451
で、弥生人が長江・江南から渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、 その生活痕たる衣食住に関わる生活密着型文物と住居文化である 三足や耳の付いた中国系土器の飲食器や炊飯器や調理器と 石刃の中国系耕作用農具と 中粒種の中国系イネと 土壁の中国系住居と 漢服と 龍信仰と 亀卜と、 渡来時に伝わった中国系言語の単語は? で、弥生人が長江・江南から渡来したと提唱している頭のおかしな考古学者の氏名と所属団体は? 早く言えよ華南ブタ広鼻 突顎 タラコ唇ベトナピーノ。
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