- DNAで追う銅剣・銅鏡文化による古日本建国史2 [転載禁止]©2ch.net
425 :LUNAMASK[sage]:2015/07/10(金) 15:17:32.74 ID:Imn+FIXC - 匈奴は五胡(六夷)十六国に分かれるが、中臣氏はその内で、前燕を建国する鮮卑にあり、
百済が遼西を経略するに従い百済経由倭国に入るようになったのであろう。倭国では何かにつけ 先輩の物部に付いていたようだ。六夷とは五胡プラス巴テイのことを言う。九州の装飾古墳には 蕨手紋と呼ばれる羌族羊頭紋と楯が描かれるが、楯は秦朝で巴寡婦清が私兵を擁していた頃の 板楯蛮で、弩弓の射手として徐福集団に編入され、匈奴に入ったのであろう。つまり、九州には テイ羌と巴テイが多かったということだが、板楯蛮は巴寡婦清を丹生都姫とし、部族の守り神を 射楯兵主とし、最終的には紀州でいろんな時代を私兵として生き抜いたもので、宗教に転じると 修験道、真言、仏教新宗派を生んだものと見られる。
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