- 日本の古代史 Part19 [転載禁止]©2ch.net
857 :出土地不明[]:2015/02/20(金) 20:21:53.10 ID:hgOGDS/E - 江南の高床式「住居」は5000年前にはほとんど消滅している。
その頃の江南の住居はすでに「木骨泥墻」(もっこつでいしょう)。 江南から真っ先に伝わるべきは木骨泥墻のはずである。 つまり古代日本に高床式「倉庫」を伝えた地域は江南ではありえないという事。 弥生人が江南から来たなら木骨泥墻が伝わるはずだし、仮に高床式「倉庫」が 江南から伝わったものなら、なぜ列島に伝わった途端に住居利用しなくなるのか 全く説明がつかない。 >私が見たものでは高床建物を出す遺跡は右の二つだけで、あとは全部 >「木骨泥墻」を出すものでした。陰湘城がすでに述べたように木骨泥墻 >ですし、その東にある石家河遺跡がやはり木骨泥墻です。この遺跡は陰湘城 >と同じように環濠集落なのですが、はるかに巨大です。壕の長径は1.5キロ >メートルに達します。これはもう村というより都市だとされています。 >時代は石家河文化時代(前2600〜2000年)です。右の情報を横並べに >してみると、次のようになります。 > > @河姆渡第3〜第4期(前5000〜前4000年) > ロングハウス式高床建物 > A屈家ュ期(前3000〜前2600年) > 木骨泥墻・環濠村 > B石家河期(前2600〜前2000年) > 木骨泥墻・環濠都市 http://www.kyoto-up.or.jp/jp/authorsessay01.html
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