- 日本の古代史 Part17
676 :白馬青牛 ◆sKm0uQPecU []:2014/09/22(月) 01:01:31.37 ID:Y4b+WfIe - >>655
海戦は船に乗ってとる限りは一蓮托生なんは当たり前じゃ。 海戦で逃げたい高級将校なら、献上報告を披露するため本土に逃げるよ。 ほいで、陸戦じゃが日本軍の将校で先頭で指揮せにゃあいけんのは、下級前線指揮官の少尉じゃ。 じゃが先頭で突撃するんは下士官や兵卒の場合が多いいんが普通なんよ。 日本の上層指揮官は欧米と違い、中国同様常に後方におって、荻洲司令官のように ウィスキーをちびちびやりながら他人事の観戦目的じゃし。 英国の第一次大戦の将校の真っ先に突撃して死ぬ光景なんか、堕落した日本軍にゃほとんど 無ぁわ。 ほいから、広島231iが軍構想の仙台13Dと名古屋3Dに託した宜昌作戦の当陽作戦で、 侵攻速度が早過ぎ(他師団が鈍すぎて)、わずか広島連隊のみ攻略し武勲を立てた戦いでも、 「「全員突撃するぞ」と、吉満大隊長(陸士二三期、上海事変の功績で金鵄勲章を受けていた)が叫ぶ。 「待って下さい。いま出ては、損害を増すばかりです。機関銃で右の即防火器をやっつけますから、 前進は、それからにして下さい。」と、一機の荒二井中尉が進言した。 「第一線は進めません。私に指揮班を下さい、一個所を突破します」と、児玉副官が申し出たが、 吉満大隊長は言下にきめつけた。 「それでは、誰が大隊長(自分)を守るのか」」 と、激戦の最中、大隊長たる自分の命を惜しみ、戦闘勝利の為の指揮班投入も出し惜しみじゃの、 日本の上層部らしい典型じゃないか。 上海事変の武勲も部下の武勲を我が出世に利用されたんじゃろうけど、日本の上層部は、 兵隊を自分が動かす駒程度扱いゆえ、世界戦闘史上最悪ワーストの自国の前線将兵の餓死者云う 自滅するんよ。つまり、前線将兵は自己の出世の為死んで呉れ。前線将兵き毎年量産される わけじゃし。じゃが自己の生命は守れ、死んだら出世が出来んじゃないか云う手前勝手の 私情を戦場に持ち込むけぇ、前線将兵は、後ろの銃たる上層指揮官の軍人の欲で 苦労したんよ。
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