トップページ > 考古学 > 2014年06月03日 > IpLKn2le

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出土地不明
日本の古代史 Part15

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日本の古代史 Part15
686 :出土地不明[]:2014/06/03(火) 14:09:52.72 ID:IpLKn2le
江南の高床式「住居」は5000年前にはほとんど消滅している。

その頃の江南の住居はすでに「木骨泥墻」(もっこつでいしょう)。

江南から真っ先に伝わるべきは木骨泥墻のはずである。

つまり古代日本に高床式「倉庫」を伝えた地域は江南ではありえないという事。

弥生人が江南から来たなら木骨泥墻が伝わるはずである。




>私が見たものでは高床建物を出す遺跡は右の二つだけで、あとは全部「木骨泥墻」を
>出すものでした。陰湘城がすでに述べたように木骨泥墻ですし、その東にある石家河遺跡が
>やはり木骨泥墻です。この遺跡は陰湘城と同じように環濠集落なのですが、はるかに巨大です。
>壕の長径は1.5キロメートルに達します。これはもう村というより都市だとされています。
>時代は石家河文化時代(前2600〜2000年)です。右の情報を横並べにしてみると、
>次のようになります。

>  @河姆渡第3〜第4期(前5000〜前4000年)
>     ロングハウス式高床建物
>  A屈家ュ期(前3000〜前2600年)
>     木骨泥墻・環濠村
>  B石家河期(前2600〜前2000年)
>     木骨泥墻・環濠都市
http://www.kyoto-up.or.jp/jp/authorsessay01.html


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