- 日本の古代史 Part10
268 :白馬青牛 ◆8mr41B7alChB []:2013/08/26(月) 01:53:49.47 ID:v9UOTZSW - >>242-243
ミズラはモンゴル、高句麗、日本へ分布してますからね。 遊牧民系や海洋民系はエスニック集団ですよ。東西漢氏や秦氏も様々な 集団が混じって形成されたでしょうが、軍事組織造りのベテランで ある遊牧民や騎馬民族的な要素が強く、また、北方民族の南下期と重なり、 北方民族系が多数を占めた集団ゆえ、文化的に中国に憧れても、東西漢氏や 秦氏は、組織や習俗がハラ氏族制とか神牛伝説とか北方騎馬民族系に なってますね。 >>249-250及び>>251 鬼道は、2世紀後半の後漢時代に漢中から流行した道教に過ぎんのに、 江南誘致してもつまらんよ。反日中華わぉ〜君は、道教で日本を煽動 したい意図でもあるんかね(笑)。 しかも、日本へ江南から渡来した例も上代にゃ無ぁし、地乗り航法の時代、 航海の軸線にもならん、遠い地域じゃったし。 炎帝神農までトンデモ南方誘致かいのう(笑)。殷にしても周にしても 支配層は牧畜系北方や西方の異民族じゃし、それ以前の伝説も後世に 北方、西方民族が支配してから作られたもんじゃに。 >>264 徐福伝説はトンデモですけど、現代モンゴルの国旗も巴形ですね。 卍は、アーリア系遊牧民が移動の際の家畜に引かせる車を表したもので しょうね。 >>266 西康は、文化的にも「蔵」よりも「西蕃」じゃけぇのう。 中部チベット人からは、羌系も康巴じゃし。 黒彝は、>>211の下の方の康巴美女の部族集落によって違うけど、黒衣装系や 頭に四角い布を置き辮髪を巻きつける系統と近い種族とも云われとるね。 北方形質の康巴美女 http://img762.ph.126.net/fJpw0InSHMDOV1jmAqaWQQ==/3756565039180818749.jpg http://file12.mafengwo.net/M00/15/21/wKgBpU6Fhx2hvcPsAAF5-RWmKzQ73.groupinfo.w600.jpeg 北方形質の黒彝美女。 http://www.gxtourism.com/uploads/081109/_10144LF.jpg アルタイ・チベッタンの北方民族は白色信仰(逆に悪玉を名乗り強さを強調する場合は、 カラ・キタイとか黒彝とか)、大乗仏教信仰とか共通性が強いし、 中でも特に羌系と南ツングース系は、半猟半農半牧で防禦に重点を置き、 城、要塞造りする文化の共通性があるよ。世界的民族移動期五胡のテイ羌系も 東の高句麗や百済、新羅、日本まで移動した可能性云うか、戦闘形態が似て 傭兵や土木建築に渡来需要があったかも知れんね。
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