- 日本の古代史 Part10
269 :LUNAMASK[sage]:2013/08/26(月) 10:34:09.33 ID:pr1mTDoq - >>268 >>242-243 秦氏は吐谷渾(豊国)の可能性もありますね。
>>249-250及び>>251 [横レス] 鬼道の背景となる原始道教は江南に広く存在したん じゃないですか。 >>264 なるほど。 [横レス] >>266 崇神が羌じゃないかなんて言ったんだけど、じゃなくて古東北類型のようですね。 崇神・垂仁の代に銅製品を銅剣に改鋳し、沸流川と同音の布留川に石上神宮を設けて 奉納する。同時に荒神谷でも同様のことが行われる。これは遼寧銅剣文化であり、銅鐸 文化ではない。つまり、崇神・垂仁は公孫末期に沸流川から帯方郡に入った古東北類型 の流れでしょう。酒の飲みっぷりは羌並みだったようだが。
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270 :LUNAMASK[sage]:2013/08/26(月) 11:04:24.32 ID:pr1mTDoq - >徐福伝説はトンデモですけど
●なぜ徐福出航の後、近畿に始皇帝命じた銅兵器の編鐘鋳造を具現するかのごとき銅鐸文化 圏が成立するのか ●なぜ紀州には、重慶の寡婦清と同様の辰砂女王をまつる丹生都比売神社があるのか ●なぜ日中両国には膨大な徐福伝承が残されたのか こうした考古学的事実は徐福伝承の歴史的実存を立証するブートストラップであると思います。
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271 :LUNAMASK[sage]:2013/08/26(月) 11:06:21.40 ID:pr1mTDoq - 特に強烈なのが「論文弥生時代の銅鐸の文様の源流について 東海大学紀要文学部 末房由美子
銅鐸と中国南方青銅器との装飾法や文様の意匠におけるこうした親近性の発生は,具体的には どのようにしたら可能であろうか。類似した文様を有する小型の青銅器の伝来,鋳造工人の渡来 などが考えられる。弥生時代の青銅器鋳造現場の性格を詳細に研究した結果によると,弥生中期 前半までは日本での青銅器の鋳造は朝鮮半島からの渡来人によって行われていたことが 指摘されている。それは工人の生活跡から出土した土器から導き出されている。そうすると南から の工人達は,朝鮮半島で土着化し,その後渡来したことも考えられる。その場合は朝鮮半島にも 痕跡がある筈である。 ここで朝鮮無文土器時代の有名な防牌形銅器に触れておきたい。 この器物は,その文様から農耕祭祀にかかわる儀器であると推測されているが,人物の特有の 表現(図27)は,石寨山型銅鼓等に施されている人物表現(図28・29・ 30)と酷似している。 この防牌形銅器は,朝鮮では異形青銅器と分類される一連の器物の一つである。これらの異形 青銅器は,紀元前4世紀から紀元前3世紀頃,忠清道に分布し,突然現れて短期間で消えてい ったとされている。これらの諸点は,これらの青銅器が朝鮮半島本来のものではなく,外 から 入ってきた要素であること,またその製作にはそうした要素の関与があったことを暗示している ように思える。」これですね。
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272 :LUNAMASK[sage]:2013/08/26(月) 11:21:43.71 ID:pr1mTDoq - ●銅鐸 銅剣を銅編鐘・銅鐸に改鋳する文化
●丹生都比売神社=徐福秦西南夷 ●石上神宮=沸流遼寧銅剣文化 すると丹生都比売神社と石上神宮は矛盾(ホコ・タテ)関係にある。国譲りの神話とはこの矛盾の 止揚 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A2%E6%8F%9A にあるといえる。
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