- 日本の古代史 Part9
674 :白馬青牛 ◆8mr41B7alChB []:2013/06/22(土) 01:45:28.23 ID:P3X0+CIt - >>663-664
身長じゃの後頭部の頭の形は短期間で変わる小進化じゃが、日本人が コーカソイドやネグロイドになったわけじゃあるまあし。つまらん飛躍で さしくり(誤魔化し)よってもつまらんわ。 >>665 50年どころか近代以降の日本人起源の学説で急激な変化なんか無ぁわ。 >>666-667及び>>668ほいから>>671 縄文や越?に前方後円墳じゃの、ありませんよ。しかも年代繰上げしたもん じゃ意味がありません。月光仮面さんが引用する江南派、国粋ネット右翼派の 安本美典氏らも歴博を批判しとられるでしょうに。 http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku270.htm 「歴博の発表は、箸墓古墳が3世紀中ごろの卑弥呼の墓という前提条件をもって行われた。 研究自体は科学的方法を用いているが、発表はまったく科学的ではない。自分たちの 先入観の確認のためにデータを都合良く利用しているだけだ。」 「旧石器捏造事件では、研究費を配分する人があらかじめ自分の説を持って いて、自分の説を支持するところへどんどんお金をつぎ込むということを やった。研究者は配分者の説に沿うように成果を出さないと研究費がもらえなくなるので、 ますます捏造が拡大し、とんでもないことになった経緯がある。 歴博の研究は、これとほとんど同じ構造になっている 」 「ホケノ山古墳は庄内期と言われているが、このような鏡の分析からは、ホケノ山の鏡は、 むしろ5〜6世紀の古墳時代出土の鏡に近く、ホケノ山古墳はそれほど古くないと考えられる。」 歴博の研究は、これとほとんど同じ構造になっている。」 ホケノは加耶系北方木槨墓と同様の丸太木材で、 http://kamnavi.jp/log/yumv0712.htm 「木槨墓には楽浪=漢のタイプもありますがこれは板材を使いのに対して、 北方遊牧民族は丸太材を使います。 カザフスタンの東部、バルハシ湖に注ぐイリ川の流域にある、イッシク古墳です。 丸太木の槨の周囲に石を積んでいます。これは騎馬民族スキタイの枝族のサカ人の 古墳群といわれています。あるいは匈奴の墓かもしれません。 韓国では新羅に木槨積石墓があります。天王塚が有名です。 日本では大和のホケノ山古墳が石囲い木槨墓といわれますが、その前身は 阿波の萩原古墳だとされています。阿波や讃岐や西播磨は積石塚古墳群が多いですね。 これは、5世紀ごろには終焉している。信濃の積石塚も有名ですが6-7世紀のものが 多いのでしょう。王冠も研究対象として面白そうですが如何でしょうか。 たとえば、信州の桜ヶ丘古墳や福井の二本松古墳から出た金銅の王冠は、高霊=大伽耶の ものと似ているらしい。信州には須須木氏、田沼氏などの高句麗系の人が多いそうです。」
|