- 日本の古代史 Part9
604 :LUNAMASK[[sage]:2013/06/18(火) 17:37:24.19 ID:typSJrlc - 横レス。弥生末の日本は先行する縄文人・江南人の環濠集落という経済基盤があったので
渡来人も生きて行けた。素盞嗚が一夜漬けで稲作をやろうとしてもできなかった。それは 事実でしょうね。しかし、郵政民営化のように環濠集落の壁を土器の標準化のような ことで取り除いて、また、銅鐸のような不経済なものから輸入ものの銅鏡とか、偽物 銅鏡に切り替えて資源浪費の無駄を省いた。こんなことはあったんでしょう。輸入物 が幅を利かせるというよりは弥生土器業者の転身がポイントだったのかもね。
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605 :LUNAMASK[sage]:2013/06/18(火) 17:46:38.66 ID:typSJrlc - 当時軟弱な列島人なら従属した・・・これは半島の場合はそうだったかもしれないが、
日本の場合縄文遺伝子のほうが圧倒的に多数に生き残っている。渡来人は少数派。 ところが、半島の場合ほとんどが中国系・満蒙系で、原住民は日本でいえばアイヌ並。
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606 :LUNAMASK[sage]:2013/06/18(火) 17:54:47.58 ID:typSJrlc - しかしながら、弥生土器はアムール・沿海州土器の形式、製作方法に変わり、神話の
基本体系はブリャートと同じになった。ブリャート、アムール、沿海州に共通する 高地性集落は西日本に広がった。そして古墳中期にはブリャート・アムール、沿海州 の西方の同一文化が北匈奴のトルケスタン夕月国移住とともに大回りをして青海湖 羌・吐谷渾を同伴して須恵器とともに日本に到着した。火祭り文化ですね。
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