- コーカソイドとモンゴロイドの分岐点はどこ??
526 :出土地不明[]:2013/01/31(木) 01:36:12.66 ID:Cp+ojmaQ - 下記を見れば分かるけど、
アジア人にも欧州人にもMTDNAにネアンデルタール由来の遺伝子が見つかってる。 ネアンの近似種デニソア人の遺伝子もアジア人から見つかってるし、それら旧人遺伝子は新人の形質差に影響を与えている、とは言えないみたいだよ。 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1311345468/l50
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- 日本と紀元前中国王朝の関係性
273 :出土地不明[]:2013/01/31(木) 02:08:29.33 ID:Cp+ojmaQ - 勘違いしている人が多いようですが、
国立博物館は縄文期が3千年前にまで遡ることを宣言しています。 その頃に近い水田遺構も発見されていますし、プレ弥生土器(縄文+弥生)はもっと早くなります。 「亜氷期」の寒冷化で再南下してきた黄河文明(「夏」含む)の圧力で、長江文明人が海路脱出してきたのが弥生人です。 あくまでそれは有史以前の話、中国の神話時代の話です。
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- 日本と紀元前中国王朝の関係性
275 :出土地不明[]:2013/01/31(木) 14:21:36.35 ID:Cp+ojmaQ - 海洋民族の縄文人は、伊豆諸島の黒曜石を日本中に流通させていました。
北海道の貝細工や越後のヒスイも同様です。 その上、それらは沿海州・朝鮮半島沿岸部でも見つかっています。 とはいえ大規模な移住には至らなかった模様で、当地には遺伝子がほとんど残っていないようです。 交易か、航海途中の中継基地だったのかもしれません。 さらに上海に近い遺跡から縄文土器も見つかっていますし、南米までなんて話もあります。 難破漂流した結果なのかも定かではありません。
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- 日本の古代史 Part7
654 :出土地不明[]:2013/01/31(木) 15:47:31.90 ID:Cp+ojmaQ - 薄馬鹿牛さんのレスの内容って、数年前からなんにも変ってないよね。
というか昭和の学説しか認めてないみたいな?
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- ハプログループO2b&O2b1は夫余、沃沮、穢
276 :出土地不明[]:2013/01/31(木) 23:35:41.84 ID:Cp+ojmaQ - 長江原産温帯ジャポニカ水稲遺伝子のSSR領域にはRM1-a〜hという8種類のDNAがある。
だが朝鮮の同じ水稲遺伝子には日本に存在するRM1-bだけが存在しない。 そして日本の同じ水稲遺伝子にはRM1-a・b・cだけしか存在しない。 これが日本と朝鮮半島には、それぞれ長江から別ルートで水稲が渡ったことの証明となっている。 また、日本水稲遺伝子の多様性が長江のそれより著しく失われているのは、船などでほんのわずかしか種籾が持ち込まれなかったから、と考えられている。 大陸の先端技術を持った弥生人が、当時の日本では驚異的な収穫量だった水稲栽培を持ってしても縄文人を駆逐できなかったのも、同様に日本に到達した弥生人の数が少なかったからと考えられている。 さらに、日本の稲は温帯ジャポニカ水稲と熱帯ジャポニカ陸稲(ジャバニカ、ジャワ米)が交雑した「早生ジャポニカ」種であることも指摘しておかなくてはならない。 在来種の熱帯ジャポニカは海洋民族である縄文人がスンダランドから運んだのか、海の道から自然伝播したのか、は定かではない。 が、氷河期間も暖流のおかげで植生豊かだった日本では、古くから熱帯ジャポニカ陸稲による粗放栽培(撒きっ放し収穫)が行われていたことも分かっている。 弥生人が渡来しはじめた3千5百年〜3千年前の日本は「亜氷期」にあり、「縄文海進」の温暖期に人口を急増させた縄文人は、その後の食料不足に苦しんでいた。 そのため弥生人から盗んだのか、物々交換したのかは分からないが(両者は平野部と山林部で住み分けしていたことが分かっている)、縄文人は湿地に長江水稲と在来陸稲を一緒くたに粗放栽培してみたようだ。 後の水田遺構でも長江水稲・在来陸稲両方のプラントオパールが発見されているが、そうして両者は交雑を重ねて耐冷種「早生ジャポニカ」が偶然生まれたのだ。 この早生ジャポニカによる水田は、なんと弥生中期には青森まで到達している。 もちろんこの「早生ジャポニカ」は朝鮮半島には存在しない。 寒冷な朝鮮では長江水稲は定着せず、19世紀末に日本が保護に入った時ですら半島南部にわずかに残るだけだった。 朝鮮に残る水田の遺構は、長江からの移民が試しにやってみたが結局失敗したものだろう。 まかり間違っても、長江と違い寒冷でコーリャン・麦栽培を主とした華北漢族移民の仕事などではない。 結局、朝鮮の米は日本の米と全く関係が無いもので、別のルートで伝播したことが定説になりつつある。 そして朝鮮半島南部沿岸と九州北部では3千年前のその前後の、共通したプレ弥生土器が出土する。 その特徴は縄文土器と弥生土器を足して2で割ったもの。 そう、弥生人が縄文土器を見て作ったものが朝鮮半島に伝わったもの、と見てよいだろう。 日本ルートの水稲と早生ジャポニカは朝鮮に伝わらなかった(残らなかった?)が、弥生人は朝鮮南部にも渡っていたようで、その遺伝子も現生韓国人に確認できる。
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