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出土地不明
日本の古代史 Part7

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日本の古代史 Part7
263 :出土地不明[sage]:2013/01/01(火) 00:21:51.15 ID:YR7bEpjy
>突出した口縁部に刻目が施されるといった極めて特徴的な土器文化が
>弥生開始時の刻目突帯文土器と沿海州南西部のシニガイ文化土器以外に
>一体どこにあるのか教えてくれないか?

あそこでの意図はね、ああいう刻目突帯文のような形態の土器は、地域や
年代をあまり限定せずにあるということ。加曽利B3の粗製土器だって口縁
部と肩に突帯がめぐり、似たような形をしている、と言ったら怒られる
だろうけどさ。

ところで「シニガイ文化」について知らないんで、画像とか説明してる
サイトあったら教えてくれないか?ググっても、たぶんきみがずっと
2ちゃんに書いてる文章しかヒットしないんだ。
日本の古代史 Part7
264 :出土地不明[]:2013/01/01(火) 00:30:56.70 ID:YR7bEpjy
>沿海州からなら、歴史的に見ても直接横断気味に渡航するルートとか、
>北回りが一般的だと思うんだが。

>当時の極めて不安定なカヌー状船で一回の休憩も挟めない危険な沿海州〜九州北岸
>直接横断航路とすぐに陸に戻って休憩できて避難もできて安全も確保できる沿海州〜
>朝鮮東岸沿岸部の沿岸航路のどちらが安全性が高く安心して航海できるのかね?

どうもこちらの話を理解していないようだけど、九州には行かないだろう。「沿海州から
横断」って言ったら、日本海側、東北地方の日本海側、新潟・北陸あたりに流れ着くと考
えるのが自然でしょ。これは歴史的にもあると言うこと。引用はしないけど、東夷伝の東
沃沮にそういった言い伝えみたいのがあるし、遼や渤海との交易とか、十三湊あたりの
交易関係とかもみんな日本海横断か、オホーツク海回りでしょう。

沿海州から朝鮮東岸沿岸部の沿岸航路を伝って九州ってのは回りくどすぎる。沿海州から
なら横断しちゃうか、北に回るでしょって話。
日本の古代史 Part7
280 :出土地不明[sage]:2013/01/01(火) 16:57:50.77 ID:YR7bEpjy
>>この意見はおかしい。北部九州が先行せず、近畿で刻目突帯が出現したとしたら
>>きみにとって大問題だろう?これは土器の型式学的な話であって、炭素年代測定
>>についてはまた別の問題としてある。

>ぜーんぜん問題じゃないね。

>最初に瀬戸内に定着して拡散しようが、最初に九州北部に定着して拡散しようが、
>いずれにせよ朝鮮半島南部と深い関わりを持つ頻度が高くなるのは地理的に
>どうしても九州北部にならざるを得ないんだから。

------------------------------------------------------------------------------
「最初に瀬戸内に定着して拡散しようが、最初に九州北部に定着して拡散しようが、」

いずれにせよ

「朝鮮半島南部と深い関わりを持つ頻度が高くなるのは地理的にどうしても九州北部
にならざるを得ないんだから。」
------------------------------------------------------------------------------
「いずれにせよ」を挟んで最初と最後の文章の論理関係がよく分からない。
できたら、端折らないでどういうことなのか詳しく説明してもらいたい。

刻目突帯文土器が最初に近畿(最初が瀬戸内ってことはないだろうから)に「定着
して拡散」したと仮定すると、多元(発生)論を取らない限り、九州の刻目突帯文は
近畿から伝播したものということになるだろう。そうすると、きみの主張にある「シニガ
イ文化」の土器に似ているという意味合いも異なってくる。

それから、繰り返しになるけれども刻目突帯文土器というのは、言ってしまえば粗製
土器。このほかに組み合わせとしていくつかの土器があって、その中には文様のある
飾られた土器がある。刻目突帯文土器は列島内で前の時代からの変遷を辿ることがで
きる。刻目突帯文(粗製)土器も、ほかの有文の土器も、だ。

で、初期の研究では刻目突帯文土器そのものから編年が考えられていたが、80年代
終わり頃からは有文の土器を対象として、これを基準に編年が進んでいる。
また、従来の刻目突帯文(粗製土器)研究と有文土器編年は相互にフィードバックが
行われている。

きみは
-------------------------------------------------------------------------------
突出した口縁部に刻目が施されるといった極めて特徴的な土器文化が
弥生開始時の刻目突帯文土器と沿海州南西部のシニガイ文化土器以外に
一体どこにあるのか教えてくれないか?
---------------------------------------------------------------------------------
と言うが、

「弥生開始時の刻目突帯文土器と沿海州南西部のシニガイ文化土器
以外に一体どこにあるのか」と書いていることから判断して

これは外来のもの(シニガイ文化)が列島内に入って、その結果、刻目突帯文
土器が生成された、「シニガイ」→刻目突帯文という意味なのだろうか?
日本の古代史 Part7
281 :出土地不明[sage]:2013/01/01(火) 16:58:28.96 ID:YR7bEpjy
こちらが最初から言っているのは
--------------------------------------------------------------------------
>刻目突帯文土器はポリツェより500年以上古い沿海州南西部の「シニガイ文化」の
>土器形態に一致する。

ああいう粗製土器の形態ってのは、機能によって類似することはママある。
-------------------------------------------------------------------------------
あそこでの意図はね、ああいう刻目突帯文のような形態の土器は、地域や
年代をあまり限定せずにあるということ。
----------------------------------------------------------------------------
広口の壺あるいは甕のような器の形の類似は、年代や地域によるものではなくて、
土器の機能によって生み出されるのだということ。つまり加曽利B3式の粗製土器
を挙げたのは、そういう意味。

一連の話を読んでいると、きみは「シニガイ文化」が朝鮮東海岸を南下して北部九州
に入り、それが刻目突帯文土器のもとになったと、そのように主張しているようにも
みえる。

一方、こちらは日本列島の内部(おそらく近畿)で、例えば滋賀里式の終わり頃の
粗製土器が刻目突帯文土器に変化すると言っている。で、滋賀里→刻目突帯文
というのはけっこうな研究の蓄積があって、だいたいそれでいいんだろうと。
つまり、「シニガイ文化」→「刻目突帯文」ではないだろうということで、土器同士
が似てるというのは機能の類似によるものだろうという話。

形の似ているものならば、廟底溝遺址でも見つけられるし、朝鮮無文土器でもいい。
ああいう甕・壷で突帯がめぐるという特徴だけならば、加曽利B3式の粗製土器でも
いい。年代や地域関係なくというのはそういう話だ。

それから根本的なこととして、
きみは、「シニガイ文化」の土器が似ていると言っているが、残念ながらそれをこちらは
よく知らない。ポリツェやらヤンコフスキーならだいたい分かるが、シニガイはよく分か
らない。これでは、話ができない。

それから年代の問題で、「シニガイ文化」が弥生時代の開始期にあたる、あるいはそれ
以前であるというのは宜しいのかと。その考え方はいったい誰の考え方なのか、オク
ラドニコフなのかジェレヴャンコなのか、AMSなのかなんなのか、また土器だけでなく、
他の文物との関係はどうなのか。「シニガイ文化」の文物は、その渡航ルート上に
どのくらいあるのか、また北部九州にはあるのか、そういう話がまったく分からない。

とりあえず、その「シニガイ文化」の英語あるいはロシア語でもいいが、スペルを書い
てみてくれ、ロシア領でそちらに情報があろうとなんだろうと情報くらいあってしかる
べきだろう。ポリツェやヤンコフスキーやそういうものが、日本でさえネットで出てく
るのに、W.W.W.のなかに「シニガイ文化」の情報がないというのは勘弁して欲しい。
日本の古代史 Part7
282 :出土地不明[sage]:2013/01/01(火) 16:59:18.98 ID:YR7bEpjy
長文連投御免

>>279 どうもこちらの話を誤解したままみたいなのでまとめるわ

>>>>だから沿海州南西岸から海路で朝鮮東岸を経由して九州北部に定着した
>>>>北方アジア人たちが弥生人と見てとれる訳だ。 (>>238)
---------------------------------------------------------------------
>>>沿海州からなら、歴史的に見ても直接横断気味に渡航するルートとか、
>>>北回りが一般的だと思うんだが。(>>241)
----------------------------------------------------------------------
>>当時の極めて不安定なカヌー状船で一回の休憩も挟めない危険な沿海州〜九州北岸
>>直接横断航路とすぐに陸に戻って休憩できて避難もできて安全も確保できる沿海州〜
>>朝鮮東岸沿岸部の沿岸航路のどちらが安全性が高く安心して航海できるのかね?
-----------------------------------------------------------------------------
>どうもこちらの話を理解していないようだけど、九州には行かないだろう。

繰り返しになるけれど、航路の話で、きみの書いている内容から判断すると
きみの話は一貫して「沿海州南西岸から海路で朝鮮東岸を経由して九州北部に定着」
という渡航ルートが想定されていた。このルートは確かにある。
渤海の日本渡航ルートのうちの「筑紫路」または「南海路」だろう。

で、こちらは「最短距離を行けばいいじゃない」ということで「沿海州からなら(略)
直接横断気味に渡航するルート」を提示した。このルートも確かにある。

で、この意見に対するきみの意見は持説の「沿海州〜朝鮮東岸沿岸部の沿岸航路」
が頭にあって、きみはこちらの「直接横断気味に」という主張を「沿海州〜九州北岸直接
横断航路」と解釈して「あほですか」と言ったわけ。なお「沿海州〜九州北岸直接
横断航路」ってのは文字通りこの間を「直接横断」するという意味では、可笑しなルート。
たぶん無い。

で、きみの一連の話に対してこちらは「どうもこちらの話を理解していない」と指摘した。
それは、ルートについて「沿海州南西岸から海路で朝鮮東岸を経由して九州北部に定着」
という持説の確信から来る、日本海横断ルートの見落とし、と話の誤解を指摘したもの。

たとえば、昨年もニュースになっていたが、北朝鮮のボートが流れ着いたのはどこか?
北朝鮮による拉致被害が多く発生しているのはどこか?などを考えてみてもいい。

ルートの参考に
http://www.nihonkaigaku.org/kids/relation/bohai.html
日本の古代史 Part7
285 :出土地不明[sage]:2013/01/01(火) 17:55:41.28 ID:YR7bEpjy
>>284
まぁ、お互いの書き込みの内容で他の人に判断して貰えばいいんじゃない
のかな。きみが主張をして、こちらもそれとは別の主張をしただけの話で、
それを打切りたいというのであれば、こちらには異論はない。でもできれ
ば>>280ほかの疑問に答えて欲しかったわ。

ここで部外のホモ牛を出すのは悪いけれど、結局さ、主張を述べあうだけ
で、他人から批判を受けるとカーッと頭に血が上って罵詈雑言になってし
まうことが多々あって、専門板はなかなか話が続かないってことがある
わけで。自分はこ思うがおれはこう思う。意見が違うからレスを返す。
上から眼線もなにも対等にお話をしているだけでね。

馬鹿で負け犬であぁでこーで、そんなの最後に要らないと思うよ。


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