- 日本の古代史 Part5
534 :白馬青牛 ◆8mr41B7alChB []:2012/08/20(月) 02:55:54.77 ID:zGdqPZh4 - >>531
こっちを挙げんかい。 664 :白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2010/11/07(日) 16:36:46 ID:9PydPhzs >>643 今の北朝鮮は、栄養失調で体格が小柄かも知れんが肉体は強壮じゃ ろう。ほいで戦前の平均身長は北朝鮮の方が南朝鮮よりも高かったよ。 欧米人じゃのうても、戦前の日本人から見ても北朝鮮の容貌は褒めとるし、 特に女性は東洋一の美人産地じゃったろうね。 ほいから、佐々木春隆氏の文でも載せとこう。 http://ime.nu/www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=449015&log=200708 佐々木春隆『長沙作戦 緒戦の栄光に隠された敗北』(光人社NF文庫) p23を、軍板のイナゾウ氏が載せとったのう。 http://ime.nu/yomi.mobi/read.cgi/hobby9/hobby9_army_1166623522 122 名前:イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM mailto:sage [2007/01/04(木) 21:47:42 ID:???] >>120 最後の3行がウソ臭いというか、紋切り型の話。そこさえなければ、まあ面白い かもしれない。ついでに元防大教授の佐々木春隆氏が陸士を卒業して満州の部隊に赴任 する際に、朝鮮を列車で移動したときの感想を要約すると以下の通り(1938年)。 ●朝鮮の山々は残らず赤土の禿山で、土壁と藁の見るからに貧しい農家が大地に 這いつくばっていた。同じ皇土と言いながら、余りにも貧富の差が激しいのに驚き、 「これでは天皇陛下に忠誠を尽くせ」と言ってもどうかなあ、と考え込んだ。 ●満州行きは秘密であると聞いたが、停車駅ごとに動員された女学生達が見送りに 来ていて、特産の青いリンゴなどを差し入れてくれた。しかも民族服が綺麗で美しく、 北上するにしたがって美人が多くなったことである。今でも「平壌美人」と言うし、 美人は北に多いと韓国人も言うから、その頃から目が肥えていたのだろう。 お礼と好奇心から言葉をかけると綺麗な標準語なので驚いた。「日本語がお上手 ですね…」と感心すると、「日本人ですから当然でしょう…」という返事に戸惑った。 そう言わねばならない時代であったのだろう。 佐々木春隆氏の著書のP23引用が剽窃ならイナゾウ氏も同罪になろうに。 ほいから、イナゾウ氏とわしの関わりは、こっち>332あたりからじゃが、 イナゾウ氏は、わしが意見すると都合が悪いせぇか、わしを無視、 鹿十しよったよ。 http://www.geocities.jp/sinojapanese_war/log/1180107898.html 332 名前:廣島人 :2007/06/21(木) 00:26:17 ID:AYETpfsx >>311 国府軍の「冬季大攻勢」が、65個師団あったんでしょうか? 支那軍第5戦区は50個師、第一線34個師と広島第39師団の 戦記には出ておりますが、65個師云うのはどの資料ですか。 守る日本軍は、信陽、随県に名古屋第3師団2万5千、安陸、天門に 仙台第13師団の2万5千、黄坡に広島第39師団の1万4千の兵力等が おりました。冬季反攻は12月12日頃から本格化し、第3、第13師団は 各地で猛攻を受け苦戦となった。広島第231聯隊が救援に多宝湾に 向かった処、仙台第13師団の立花聯隊は甚大な損害を出し、全員が穴倉に 入っていた。これが帝国陸軍であり、皇軍の姿なのか、と思うほど、 あわれで悲惨な光景だった。かろうじて生存していた警備兵が、 「歩哨が首を切られたり、拉致されたり、分哨が全滅した」 「来襲した支那兵が、日本馬の肉を喰っていた。わが大隊は、完全に 全滅した」と、細々と力なく話した。広島第39師団第3、第13師団を 救援し穴を塞いだが、危機一髪でした。 報復戦の「宜昌作戦」で苦戦しながら攻略出来たんは、その通りですが。
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