- 日本の古代史 Part4
660 :出土地不明[]:2012/07/05(木) 01:16:35.72 ID:r20O51Hr - >>655
江戸時代に入ると、銭湯が大衆化した。1591年に伊勢与市によって江戸に初めての銭湯が置かれて以来、 急速に江戸市民の生活に溶け込んでいった。初めは心身的な理由で入浴することが多かった人々の間でも次第におしゃれや娯楽、 社会的コミュニケーションの場として銭湯に行く者も増加するようになった。 当時の川柳に「銭湯へ行かぬで下女は毒づかれ」と銭湯へ行かない者を揶揄するものが現れるのもこうした時代背景がある。 松平定信は江戸の銭湯での男女混浴を禁止する御法度を出したりして、風紀の厳しい取り締まりの対象にもなった その一方で幕府が低廉な価格維持(山東京伝によれば享和年間における入湯料は大人10文・子供8文であったという) の代わりに銭湯業者の保護も行っていた。日に何度も銭湯へ通う客のために、月単位で通しで入れる木札を売っていたともいう。 「明治期でも都市部で風呂は月に一度程度」とか嘘を付くなホモ牛
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