- クロマニョン人ネアンデルタール人とSEXできなかったのか?2
217 :出土地不明[]:2011/10/02(日) 01:04:32.92 ID:n2xw3ak/ - 大河の性格はその文明の性格を表す。
特にメソポタミアとエジプトはいい例だ。 定期的かつ安定した氾濫を繰り返すナイルにたいし、 チグリス・ユーフラテスは獰猛だ。時に簡単に街を泥のそこに沈める。 この違いが両者に決定的な違いを与え、それは結果として世界を現在のようにした。 エジプトの生死観は安直で享楽的で、明るい。 死後も生前と同じ生活が永遠に続き、再びまた同じエジプトに復活し、幾度目かの人生を始める。 これはナイルの流域の非常に豊かで安定した流域と農耕地が生んだ思想だ。 外来からの敵は海と砂漠が防いでくれていた。彼らは人生に満足し、楽しんでいた。 神は常に人間に恵みを与えるために存在した。 しかし、メソポタミアは真逆だ。 いつ何時、洪水が彼らの築き上げてきた物全てを洗い流してしまうかも分からない。 大河は疫病と戦争の伝播媒体でもあった。広大な流域幅がもたらすステップは格好の移動ルートでもあった。 外敵の侵入をこの川は防いでくれない。 メソポタミアの思想は暗い。 神は何度も人類を容赦なく滅ぼし、常に試練を与えて監視し、 人は審判を受けて天界に旅立ち、二度とこの土地に戻らない。 まるで生そのものが神の罰であるかのようなこの原罪思想は 言うまでもなくユダヤ、キリスト、イスラムに引き継がれ後の世界そのものを構築していく
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218 :出土地不明[]:2011/10/02(日) 02:52:43.13 ID:n2xw3ak/ - 生死観の伝播が時空を超えるという現象は非常に興味深い。
エジプトはやがて、イスラームによってこの生死観を受け入れる事になる。 生活条件は変わっていないにも関わらず、生死観は変化したのだ。 つまり、生死観の発祥は発祥条件に影響されるが その伝播と影響は必ずしも生活条件に執着しないことを意味する。 翻って黄河文明を見てみよう。日本は言うまでもなくこの文明圏に属する。 日本はこの文明圏の生死観に多大な影響をうけたはずだ。 黄河流域は安定した社会が構築されていたが、人間が幸せだったとは言い難い。 型としてはメソポタミア型で、生死観はより即物的で来世に何の希望も無い。 即ち、選ばれた神仙のみが生きる崇高な世界があるが神仙とていつかは死ぬ。 そして死んだ先祖は非常に敬われる反面、その存在規定は曖昧だ。 消滅するという考えもあれば、何となくそこらにいるのではないか、という者もいる。 要するに死んだ人間に無関心なのだ。生きるのに必死である土地故の概念だろう。 「ハレ・ケガレ」の概念がもたらす日本の生死観とは全く違う。 一部においては影響はあるものの、根本部分が全く相容れない。 日本の万物神信仰は形としては明らかに森林型、 文明宗教たる大河型とは一線を画す、ネグロイドやオースとロイドの古宗教に属する。 これは日本が一度も中華圏の支配を受けなかった事、 構成民の交替が行なわれなかった事を意味する。 弥生人が渡来してきたのは明白だが、それは主従の交替がおこるほどの現象はもたらさなかった。
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219 :出土地不明[]:2011/10/02(日) 03:12:08.95 ID:n2xw3ak/ - >日本はこの文明圏の生死観に多大な影響をうけたはずだ。
○→日本は「本来ならば」この文明圏の生死観に多大な影響をうけたはずだ。 中国の先祖崇拝と日本のそれは全く似て非なる。 中国のそれは、あくまでも現実世界に自分という種を落としてくれた先祖に感謝している信仰であり あくまでも利己的だ。 運勢や生死は現実の方位や行動によって変化するため、死者の出る幕は無い。 しかし、日本は時として非常に恐ろしく無慈悲な神が、 赤子や運を奪い去っていくのを先祖が死者故の超能力で阻止してくれる事を期待するシャーマニズに根ざしたもの。 逆に言えば、生者の方が自分の運や生死に対し無力で出る幕がなく、死者に頼る意外に方法が無い。 この違いは両国が数千年の時を経てもなお、一寸も分かり合えない根幹ではなかろうかと思う。
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