- 日本人どこから来たんだ?28
534 :LUNAMASK[]:2011/09/17(土) 09:44:52.00 ID:wMrK9JS4 - 「弥生時代の銅鐸の文様の源流について」 東海大学紀要文学部 末房由美子
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf 「銅鐸と中国南方青銅器との装飾法や文様の意匠におけるこうした親近性の発生は, 具体的にはどのようにしたら可能であろうか。類似した文様を有する小型の青銅器の 伝来,鋳造工人の渡来などが考えられる。弥生時代の青銅器鋳造現場の性格を詳細 に研究した結果によると,弥生中期前半までは日本での青銅器の鋳造は朝鮮半島か らの渡来人によって行われていたことが指摘されている。それは工人の生活跡から 出土した土器から導き出されている。 『そうすると南からの工人達は,朝鮮半島で土着化し,その後渡来したことも考 えられる。その場合は朝鮮半島にも痕跡がある筈である。 ここで朝鮮無文土器時代の有名な防牌形銅器に触れておきたい。この器物は,その 文様から農耕祭祀にかかわる儀器であると推測されているが,人物の特有の表現 (図27)は,石寨山型銅鼓等に施されている人物表現(図28・29・30)と酷似している。 この防牌形銅器は,朝鮮では異形青銅器と分類される一連の器物の一つである。 【これらの異形青銅器は,紀元前4世紀から紀元前3世紀頃,忠清道に分布し,突然 現れて短期間で消えていったとされている。】 これらの諸点は,これらの青銅器が朝鮮半島本来のものではなく,外から入ってきた 要素であること,またその製作にはそうした要素の関与があったことを暗示している ように思える。』」 ====================================================================== [白馬青牛さんは石寨山文化がなぜ弥生中期の日本に到来したと思いますか?] こんな簡単な質問ですよ。まだですか? ======================================================================= これへの回答が⇒ >>525 >>501 到達しとらんもんを、到達した云う前提条件を付ける幼稚な工作しても 意味が無いでしょうに。形状の違いと、一部だけ類似点があると伝わった じゃの妄想に過ぎません。総合的雲南の石寒山文化のセットなんか日本に ありませんし、雲南から日本への移動ルートもありません。 そのことは、>>504でも認められとるじゃないですか。 ====================================================================== それを雲南から渡来じゃの【古キルギスからの渡来】じゃの飛躍妄想するけぇ 可笑しゅうなるんですよ。>>505でもローマから漢へ直接移民した集団 なんかありませんし、民族移動期も日本へは北東アジアからの移民が ほとんどで、遠地からの移住なんかほとんど個人単位ですから歴史、 民族史の話題にならんのですよ、馬鹿々しい。 ======================================================================= 【古キルギスからの渡来】これは匈奴によるイェニセイ・キルギス制圧の結果、トゥー ヴァ盆地、モンゴル西部で発生するウルグ・ヘム文化[後期古墳時代肥後式石室墓]の こと: Ulug-Hem Burials横穴式石室墓 (Horizintal Opening Stone Vault Chamber Burial) comprising: Burials in stone boxes 箱式石棺墓 (Stone Box Shaped Coffin Burial) Burials in underground pits with a stone lining 地下式板石積横穴墓 (Underground Flat Stone Piled Wall Chamber Burial) Burials in stone vaults/crypts 穹窿石室墓 (Stone Vault Chamber)
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535 :LUNAMASK[]:2011/09/17(土) 10:49:55.49 ID:wMrK9JS4 - >>525 >雲南から日本への移動ルートもありません。
>そのことは、>>504でも認められとるじゃないですか。 >>534 秦始皇帝が雲南・テン王国の工人を徐福遠征隊に下賜したのは、冒頓単于に 追われた月氏・廬水胡等スキタイ系が雲南省に南下するよりやや早い時期であったの でしょう。しかしながら「南からの工人達」[末房]の太陽崇拝を描いたと見られる甕が 鳥取県米子市にある稲吉角田(いなよしすみた)遺跡(弥生中期)から出土し、銅鐸 祭祀も描かれている↓ http://www.eonet.ne.jp/~yamauo2005/fig1a1.jpg http://www.eonet.ne.jp/~yamauo2005/yayoikaiga.html 見たところ、彼らはオーストロアジア系海人族であったものと見られ、後に倭人伝で 東冶会稽出自を示唆される越人が関与していたんでしょう。 私は古羌の出自を関中・渭水流域とし、前2000年紀にはアンドローノヴォ文化圏で インド・イラン系と太陽・火崇拝を共有していたと考えています。
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536 :LUNAMASK[]:2011/09/17(土) 11:07:16.62 ID:wMrK9JS4 - >>534
突厥(Gokturk Turkic Khaganate) 552-744と継体朝 507-531は同一の墓制を持ってい たことになる。
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538 :LUNAMASK[]:2011/09/17(土) 12:41:11.32 ID:wMrK9JS4 - >>479 >>475 >>535
「封」 山頂(丘) 天神 冬至 田和山 「禅」 山麓(平野) 地祇 夏至 吉野ヶ里 つまり、冬至と夏至の相違は、祭場の置かれた地形にあることがわかる。吉野ヶ里 の祭場(北内郭)は平野にあり、田和山の祭場は小高い円丘の上にあることが、夏至 と冬至の違いを生んだものと思われる。 http://www.eonet.ne.jp/~yamauo2005/yayoikaiga.html 渡来蜀越人は吉野ヶ里-田和山(出雲・伯耆)システムを形成したようですね。
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540 :LUNAMASK[]:2011/09/17(土) 13:00:39.66 ID:wMrK9JS4 - >>538
彝族(犬戎・古羌)の日本到来の結果彼らの火把節が火祭として定着 東北 オロチョンの火祭り - 北海道網走市 青森ねぶた - 青森県青森市 竿燈 - 秋田県秋田市 松明あかし - 福島県須賀川市 中部 愛宕社の火祭り - 富山県魚津市、魚津神社 向田の火祭り - 石川県七尾市能登島、伊夜比盗_社 鬼ヶ嶽火祭り - 福井県越前市、大虫神社 左義長まつり - 福井県勝山市 吉田の火祭り - 山梨県富士吉田市、北口本宮冨士浅間神社・諏訪神社(境内社) 南部の火祭り - 山梨県南巨摩郡南部町 松明祭り - 長野県松本市浅間温泉、御射神社 榊祭り - 長野県佐久市望月町 道祖神祭り - 長野県下高井郡野沢温泉村 手力の火祭 - 岐阜県岐阜市、手力雄神社 今尾の左義長 - 岐阜県海津市、平田町今尾今尾神社 近畿 火柱祭り - 三重県鳥羽市志摩加茂五郷 河内火祭り - 三重県鳥羽市河内町 松尾火祭り - 三重県鳥羽市松尾町 名のり・注連縄切り・火祭り - 三重県志摩市大王町 紀和の火祭り - 三重県熊野市 五山送り火(大文字の送り火) - 京都府京都市 鞍馬の火祭 - 京都府京都市左京区、由岐神社 お松明 - 京都府京都市右京区嵯峨、清凉寺 修二会 - 奈良県奈良市、東大寺二月堂 御燈祭 - 和歌山県新宮市、神倉神社 扇祭(那智の火祭り) - 和歌山県那智勝浦町、熊野那智大社 山口七夕ちょうちんまつり - 山口県山口市 九州 鬼すべ - 福岡県太宰府市、太宰府天満宮 鬼夜 - 福岡県久留米市大善寺、大善寺玉垂宮 火振り神事 - 熊本県阿蘇市、阿蘇神社 http://ja.wikipedia.org/wiki/火祭り http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/lrg/13/16/34/lrg_13163498.jpg?20100812110309 http://www.google.com/search?q=%E7%81%AB%E6%8A%8A%E7%AF%80&hl=ru&client=firefox&hs=6Y7&rls=ru.yandex:ru:official&prmd=imvns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=0xh0TvWxFfHjmAWq9JCLDQ&ved=0CFcQsAQ&biw=1250&bih=512 Yi Torch festival http://www.chinaculture.org/gb/en_curiosity/2004-01/28/content_45747.htm
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