- 日本人どこから来たんだ?24
812 :出土地不明[sage]:2011/05/10(火) 17:12:24.21 ID:9/Rnacj8 - >>月光仮面
福井県の新羅神社(1) 若狭地方の森羅神社 若狭地方は北九州・山陰・北陸などの地域と同様に日本海沿岸の古代日本の先進的地域であった。 若狭(ワカサ)の語源は、朝鮮語のワカソ(往き来)であるともいわれている。 弥生時代の水稲は朝鮮半島から直接に伝来したものであろう。 若狭地方は敦賀市から小浜市に渡る若狭湾に面した地方である。 湾内には敦賀半島、中外海半島、大島半島をはじめ数多くの入江や島が存在し、西隣は丹後国である。 当地方も新羅・加耶系氏族に係る伝承や伝説が多く、神社の祭祀氏族としては、 秦(はた)氏(朝鮮語のパタは海の意で、 渡来海人であろう)が圧倒的に多い。 秦氏については古代中国の秦氏の移民説や加羅氏族説など、異説が多い。 当地の神社で新羅神社と標記される神社は現存しないが、 標記の方法を変えて新羅(しらぎ)信仰を今に伝えている神社がいくつか残っている。 敦賀市の「白城(しらぎ)神社」(所在地・白木)、 「信露貴彦(しろきひこ)神社」(沓見(くつみ))、 小浜市の「白石(しらいし)神社」(下根来(しもねごり))などである。 これらに 加え「気比(けひ)神社」「角鹿神社」「須可麻(すがま)神社」なども 新羅・加羅系の氏族が祖神を祭ったといわれている。 当地方は応神天皇や継体天皇とのつながりが強い地方であり、 いわゆる古代三王朝の内、二王朝、即ち応神王朝(応神―武烈)・継体王朝(継体―現在)が、 越前・若狭地方と関係している。両王朝共に新羅・加羅等と係わりが深かったであろう。 継体天皇は近江で生まれたが、越前で育っており、越前・若狭・近江などを含んだ地域は一つの文化圏といえる。 この時代、敦賀と大和の間を結ぶ重要な交通路である琵琶湖西岸には三尾氏、東岸には息長氏が勢力をもっていた。 http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/117_2.htm
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