- ホツマツタエは日本の正史
36 :太国 ◆yVAs7uaYlY []:2011/01/14(金) 10:48:39 ID:B0Vl0R/6 - 192年≠崇神5年
崇神5年には船舶の製造がない。つまり神武が畿内に来てからまだ勢力狭小の ちょっとした豪族程度であったから、畿内中あたりから海上へまで触手を伸ばせ なかったわけで、畿内盆地にて小勢力でいたのだ。 それで船舶は製造する必要がなかったわけで、崇神の代になって勢力が畿内全円 に近く至ったことから、紀の崇神17年に始めて船舶が製造されたのである。海上 に進出する局面に至ったということだ。 その12年前の崇神5年においては船舶を製造するには至っていないわけで、 これでは、この男の言う畿内飢餓農民千人もの多勢の半島渡海は出来っこない。 すなわち上の不等式が成立し、崇神5年に船舶のアリバイが無いことから、 >>35=無コテ=唐松山の下手クソなカモフラージュ の編年 192年=崇神5年 は成立しないデタラメである。
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