- 【新海誠】君の名は。アンチスレ 新1
290 :280[sage]:2019/11/06(水) 00:03:50.33 ID:J8JXGIej - バグった。すまん。
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- 【天気の子】新海誠アンチスレ 101【総合】
32 :1[sage]:2019/11/06(水) 00:11:43.72 ID:J8JXGIej - 余談だが、そろそろ一回くらいは天気を見ておくかと思いつつ、家庭持ちゆえの時間の無さで今週はジョーカー2回目を
見て、来週こそは見てやろうかと思ってたら劇場で11/8からルパン三世 カリオストロの城4DXという広告を見てしまい、 天気はまた先延ばしを決意した俺! 果たして俺が天気を見る日は来るのか!?
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- 【天気の子】新海誠アンチスレ 101【総合】
35 :1[sage]:2019/11/06(水) 00:40:05.58 ID:J8JXGIej - ヤマカンの話はスレ違いだ!
とは言え、ヤマカンが宇野のチャンネルのブロマガで連載始めてな。天気で大号泣したと記事書いてた。 スゲー長文なので部分部分だけ抜粋。 僕は本作を最初観た時、思わず大泣きしてしまって、一緒に行った女性スタッフ二名をドン引きさせてしまった。 一言で述べると、この作品は「セカイ系」という、アニメ界に「かつてあった」不思議な存在をどう捉え、どう感じてきたか によって、評価が決められるのだと思う。 そんなことを言っててもしょうがないので、僕が考える「セカイ系」とは、 「曖昧で茫洋とした、観念と哲学で捉えるしかない 世界(=セカイ)はどうなっているか解らないし、どうなるかも解らない。でもどうなったっていい。最悪滅んでも構わない。 世界がどうなろうと僕は君を愛する。そして僕は僕のまま、ここにいる」 という、この一文に尽きる。
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- 【天気の子】新海誠アンチスレ 101【総合】
36 :1[sage]:2019/11/06(水) 00:45:46.00 ID:J8JXGIej - だが一方で、『天気の子』にはどうしてもこのような誤読を誘うような重大な瑕疵があるのもまた確かだ。
現実を捉えすぎているのだ。 あれだけの東京の描写が果たして必要だったのだろうか? そこは僕も疑問に思う。 やたら風俗街やらラブホテルやら、「セカイ系」では徹底して忌避してきた(しかし「セカイ系」の発展はアダルトゲームにも あるのだからまったく無関係ではないが)要素を入れ込んだのも疑問が残る。 あたかも新海誠が「俺が東京を一番的確に描写できるんだ!」と言わんばかりだ。 だから、そこからの「セカイ系」への飛躍には、相当な無理を感じてしまう。 「セカイ系」における世界とは、あくまで「曖昧で茫洋とした、観念と哲学で捉えるしかない」ものでなければならないからだ。 新海誠は「セカイ系」にフォトリアルな背景を差し込み、そのリアリティを変えることに成功した。 しかし、そのリアリティはあたかも「セカイ系」が現実のものであるかのように錯覚させるためのギミックであり、現実世界を 写実的に描き出すことが目的化してしまっては、本末転倒、齟齬が生まれて当たり前だ。 新海誠は『君の名は。』(2016)でとうとう「筆下ろし」を果たし、大人になってしまった。 スノビズム渦巻く大人の俗世に紛れ込んでしまった。 そんな彼が「このままではいけない! 俺のアイデンティティが崩れてしまう!」という危機感から、『天気の子』は生まれた のだろう。そうとしか思えない。 でも、童貞を喪失した者はもう童貞には戻れない。 彼は同時に「俺はこの世界に認められた! だからこの世界を的確に描写できる! いや、代弁できる!」という自信を付けて しまった。 その自信が「セカイ系」とどうしても混ざり合わない矛盾、その悲劇、いや、嘲笑すべき喜劇に、僕は絶望する。 しかし「セカイ系」を取り戻そうとする彼は、必死だ。 終盤は無我夢中で帆高の体躯を借り、陽菜を追う。 そしてよう解らんうちに天空へと舞い上がり、陽菜と再会する。 「世界がどうなろうと、僕は君を連れて帰る!」 このセリフが出たところで、この作品は精神性において十分すぎるほどの「セカイ系」であると言うしかない。 矛盾を抱えよう が、僕はこの必死さに「セカイ系」を感じた。
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- 【天気の子】新海誠アンチスレ 101【総合】
37 :1[sage]:2019/11/06(水) 00:49:53.39 ID:J8JXGIej - それに首肯できない論者は、申し訳ないが、「セカイ系」に何を期待していたんですか?と訊きたくなってしまう。
つまり、更に歴史的に俯瞰すれば、「セカイ系」とはこのような想像力の不足、不全感をテーマの主軸にして隆興したのが歴史的 事実だとも言える。 だからいつも設定も展開もいい加減なのだ。 僕はこのジャンルの誕生を、アニメばかり観て生きてきたオタクたちの、自分たちの想像力の不足を自覚したことによる自らの絶望 的な未熟さ・非社会性を嘆く、「慟哭」だと考える(それは恐らくこのジャンルの始祖である『エヴァ』からも明らかだ)。 アニメばかり観ていつしか世界が見えなくなった、想像できなくなった自分たちへの「嘆き」だったのだ。 だが、時代は変わった。 オタクは嘆くどころかむしろ不全であることを自慢げに、更にはアニメが不完全な自分たちに合わせるよう要求し始めたのだ。 不全感をコンプレックスとして生きてきたオタク文化はもうないのだ。 「昔の方がまだマシだった」、僕は声を大にしてそう 言いたい。 そして新海誠も変わった。 通俗的に噛み砕いた『君の名は。』の大ヒットのせいで、自分の不全感がある意味満たされ、アイデンティティの揺らぎが生じた のだ。 最後に帆高はこう叫ぶ。 「僕たちは、確かに世界を変えたんだ!」 この一言は何を意味するのか? スターダムに伸し上がり気を良くした彼のゲスな勝利宣言なのか? あるいは「セカイ系」否定宣言なのか? あるいは逆に「セカイ系」の進化を意味するものなのか?? いずれにせよ、穿った見方かも知れないが、このような宣言をしれっと吐ける無防備な新海誠には、まだ「セカイ系」のアイデン ティティが、童貞のアイデンティティが残っているのだ、と僕は察知した。 僕は彼の叫びが、「もっと僕に優しくしてよ!認めて よ!」と叫ぶ碇シンジと、それを生暖かく「おめでとう」と拍手する大衆の構図、そう、あの『エヴァ』の最終話に見えてしまうのだ。 「僕はここにいていいんだ!」 だから、これこそ「セカイ系」なのだ。 それは決して成功者の驕りではない。「もうこの先作れなくなったとしても、これだけはやらせてくれ!」という、彼の「遺言」 なのだ。
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- 【天気の子】新海誠アンチスレ 101【総合】
38 :1[sage]:2019/11/06(水) 00:52:54.21 ID:J8JXGIej - 僕は「セカイ系」の死に涙したのだ。
結論は言ってしまえば簡単で、「セカイ系」はもう通用しない。 今、「セカイ系」を守る言説も、それを「歴史化」する場もない。「セカイ系」は伝統とはならず、死を迎えた。 「セカイ系」のメンタリティを持つ者は、オタクにもいなければ一般層にもいない。 いるとすれば、あの約10年を不全感と共に生きたまさに僕、つまり筆者たちの世代だが、オタクがここまで増長している以上は、 それを期待するのも難しいだろう。 『天気の子』は、そんな「セカイ系」のメンタリティにかつて深く共鳴し、だが今やもう中年を越え家族を抱え社会的立場を得て、 老いすら感じ始めたにもかかわらず、それでもまだ青臭い「不全感」を抱え、その羞恥を感じつつこのまま死ぬしかないと覚悟 した、ごく一部の哀れなオタクたちが、酒でも一献傾けながらひっそりと一筋の涙を流す(あたかも須賀のように)、言わば レクイエムなのだ。 抜粋でも長くなってしまった。 以上、ヤマカンの天気の子論でした。
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