- 【四肢麻痺】柳田哲志さん、あの後どうなった?Part133
16 :名無しがお伝えします[]:2018/11/07(水) 08:26:24.58 ID:7g+GlzEd - >>8
タイガーウッズは他の選手のパットの時に心の中で 「入れ入れ」と叫ぶらしい 試合中にネガティブな感情を一切排除することで 自分を高めるんだな この方が健全だしそういう姿勢は必ず何かしらの 幸運を招くこととなる タイガー・ウッズと同様、一切のsageを排除することで スレ内のネガティブな感情を排除し柳田さんの精神状態を 高める事が出来る→柳田さんの回復につながるというワケ
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- 【四肢麻痺】柳田哲志さん、あの後どうなった?Part133
17 :名無しがお伝えします[]:2018/11/07(水) 08:26:48.04 ID:7g+GlzEd - 西日本新聞より
希望の声今届ける 放送中事故で四肢まひ復帰 テレビ宮崎アナウンサー柳田哲志さん 2013年06月08日(最終更新 2013年06月08日 09時09分) 「柳田さん、ちょっと読みを聞いてもらえますか」「その言葉は言い換えた方がいいかもね」 リハーサル前のメーク室は慌ただしい。テレビ宮崎(UMK、宮崎市)のアナウンサー柳田哲志さん(45)=同市神宮西=は後輩に短く助言し、出演者や機材の間をスルスルと車いすを滑らせてカメラの前へ向かった。入社22年目のベテラン。 「障害者としては駆け出しの5歳ですけど」と、おどけては周囲を和ませる。 尻相撲大会の中継だった。2008年6月14日、宮崎県高千穂町。 水田に浮かべた発泡スチロールの土俵に「哲さん」が登場すると会場は大きく沸いた。「はっけよい、のこった!」。 尻と尻が勢いよくぶつかる。足を滑らせた次の瞬間、「ゴンッ」。鈍い衝撃が頭頂部に走った。 エックス線画像による診断は「頸椎(けいつい)骨折」。町内の病院からヘリコプターで熊本市の病院へ。 砕けた骨を取り除く手術器具は福岡から取り寄せるという。 「ふわっと魂が浮いているような感覚」だけ。意識はずっと鮮明で痛みもなかった。 妻と小学6年の長男と小学5年の長女が駆けつけた。医師に促され実感のないまま“最期の言葉”を残した。 「帰ってこんかったらお母さんをよろしくね」。手術室に入ったのは夜11時。事故から9時間たっていた。 体中をチューブにつながれ、もうろうとしていたころ、涙声の呼び掛けを何度も聞いた。清掃のおばちゃんだった。 「絶対に負くるもんかって、頑張らないかんよ」。あったかい熊本弁は、ずっと胸の底に響き続けた。
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18 :名無しがお伝えします[]:2018/11/07(水) 08:27:14.64 ID:7g+GlzEd - 「一生ベッドの上なのか」。確かめたくて執刀医を呼んだ。
「99%寝たきりでしょう。車いすに乗れるようになれば万々歳」。 四肢麻痺(まひ)の宣告なのに、希望が一気に膨らんだ。 「1%でも、可能性はあるんですね」 リハビリ当初は上半身を起こされると気を失った。 神経を損傷し血圧調整ができないのだ。わずかに動いた肩を鍛えて腕を引き上げる。 胸までしか上がらなかった指先が顎に触れるまで、「30センチ」に1年かかった。 熊本市、福岡県飯塚市、大分県別府市と病院や施設を移りながら「石の上にも、ならぬ訓練台の上にも3年10カ月」が過ぎた。 長い沈黙を破り、柳田さんは戻った。UMK本社前からの中継。 「ご心配をおかけしました」。次々に観衆が駆け寄る。「二度と握手できない」と言われた手を、たくさんの手が握りしめた。 今も固定ベルトなしでは座ることができない。毎日のように両手を見つめ「指、動かないかな」と思う。 それでも肩の力で車いすをこぎ、自助具を使ってパソコンを操作する。 「限界なんて、自分がつくるもの。小さなことに悩んでいた昔の自分にも言ってやりたい。『五体満足な人間が何を悩んどるんか』ってね」 毎週土曜が待ち遠しい。出番は正午に始まる情報バラエティー「マッポス」。 自ら取材した地域情報を紹介する。腹筋も使えないのにカメラの前では不思議と声を張れる。 今日もレンズの向こうに、たくさんの笑顔が見えた。
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19 :名無しがお伝えします[]:2018/11/07(水) 08:29:40.16 ID:7g+GlzEd - ■今ここに生きている奇跡
http://yaplog.jp/tsu...a_makiko/archive/190 ここに、書くことをすごく悩みましたが どうか、聞いてください 先日、ある方のお見舞いに福岡まで行ってきました その方は、私の先輩です 私の8年3ヶ月の局アナ生活の中で一番長くコンビを組んだ方です 病院に到着すると先輩は入浴中とのことで先輩のお母様と話をしました 時には笑顔で、時には涙ぐみながら当時のこと、そして今までのことを話してくださいました その後、先輩が入浴が終わって私たちのところへきてくださり、本当にたくさん、たくさん、 時間を忘れていろんな話をしました その中で先輩は、まっすぐ私の目を見て 「このケガは俺でよかった。後輩やほかの人が ケガをしていたら、俺は一生後悔していたと思う」 と、澄んだ目で言いました でもここまでの思いに到達するのに、涙が枯れるまで泣いた事・・・ そのことをポロっと言われたとき、私をはじめ、周りにいたみんなが涙しました。 「俺はこのままでは終わらない。子供たちのためにも 家族のためにも、絶対に復帰する」と 誓ってくれました そして、私たちに 「そうやって立って歩いていることが奇跡なんだ。だから、つらいことがあっても自分を信じて、 自分に負けないでこれからの人生を頑張るんだよ」と心からの言葉でエールを下さいました。
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20 :名無しがお伝えします[]:2018/11/07(水) 08:30:11.58 ID:7g+GlzEd - ギタさんと三色のエピソード
別府時代の話である。 暴走行為の末、ポキッてしまった青年がいた。以前から世間や大人達との「壁」を感じていた青年。ヤンチャ行為に走っていたのもその花弁が原因だったのかもしれない。 青年は受傷後、その壁が益々高くなったと感じ、塞ぎ込んでいた。オラ付いた態度に拍車がかかっていた。 受傷前は金髪だった頭を金と黒の虎模様にし、ヘルパーに悪態をつく日々。 青年の心は荒れていた。 そんなある日、施設にある男が入所してきた。入所と同時に「入所者代表」を名乗る男。そう、ギタさんだ。 この出会いが彼を更生させた。 今までは珍走DQNとして社会から疎まれ、受傷後は障害者として腫れ物ののように扱われていた。障害者の集う施設内でもDQNと言うことで浮いていた。 誰も青年にはまともに接してくれなかったし、青年もまた誰にも心を開かなかった。 そんな中現れたギタさんだけは違っていた。 ポキッてもなおオラ付きを忘れない青年の自己PRに感銘を受け、青年を自分の弟のように扱った。 青年もまたギタさんを兄のように慕った。 青年が金・黒の「二色」から金・赤・黒の「三色」になったのもギタさんの勧めによるものだった。 ギタさん曰く、「二色も良いけど、情熱と自己PRと赤ラメジャケの赤を入れてもっと自己PRしてもいいのに。自信ないのかな?」
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21 :名無しがお伝えします[]:2018/11/07(水) 08:31:57.45 ID:7g+GlzEd - 柳田さん人気の秘密
・受傷原因の間抜けさ ・それをエターナル世界公開 ・シャレにならないレベルの障害を負う ・リア充アナから急転直下で摘便生活へ ・美談にしようとする無理矢理感と悪あがき ・勘違いしたポジティブシンキングならぬ上から目線 ・周りの苦労をフルシカト、番組や看護師への罵倒、受傷女性への心ない言葉に見られる底意地の悪さ ・そのあげくレギュラー番組ゼロの社内ニートへ ・ブログのポエムと絶やさぬキチガイスマイルで効いてないアピール
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