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名無しがお伝えします (ワッチョイ ebc9-8qPS)
【アナヲタ】ヤパーリ何と逝ってもフジテレビPart156【ラウンジ】 [無断転載禁止]©2ch.net

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【アナヲタ】ヤパーリ何と逝ってもフジテレビPart156【ラウンジ】 [無断転載禁止]©2ch.net
655 :名無しがお伝えします (ワッチョイ ebc9-8qPS)[sage]:2016/10/16(日) 12:43:42.06 ID:ew+ypbzj0
https://www.kokusho.co.jp/catalog/9784336060518.pdf
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656 :名無しがお伝えします (ワッチョイ ebc9-8qPS)[sage]:2016/10/16(日) 13:23:37.62 ID:ew+ypbzj0
32 :中村光宏ではなく中村光夫ちゃんw [sage] :2016/01/05(火) 15:24:10.14 ID:DpwwcpQq (8/9)

>批評の領域では、60年代後半になって、どちらかといえば反近代主義的な立場に立つ
 批評家が目立つようになった。三島由紀夫とも通ずる「殉教の美学」を標榜する磯田光一。
 ベンヤミンやアドルノを通じてゲオルゲやホフマンスタールを救うように
 保田与重郎をも救おうとする川村二郎、犯罪者の孤独な内面にこだわる
 秋山駿もそこに加えていいだろう。

  その川村二郎は「内部の季節の豊饒〜1970年の小説」で古井由吉の「杳子」などを取り上げ、
 個と全体の照応関係に基づくアイデンティティの探求の物語が
 もはや不可能になっていることを指摘した。かねてから反近代主義的な傾向を警戒していた
 小田切秀雄は、それをとらえて「内向の世代」というレッテルを貼り、
 外的現実に対するアンガージュマンの放棄を非難することになる。 しかし、繰り返すが、
 問題は、 近代主義の物語と反近代主義の物語双方を支えていた、個と全体、内部と外部の
 イマジナリーな照応関係そのものが解体したということであって、その意味ではこのレッテルは
 きわめてミスリーディングなものと言わなければならない。この点をもっとも鋭く指摘し、
 それによって60年代の批評や思想に対する決定的切断を行ったのは、柄谷行人だった。

 批評家として出発したとき以来、意識に対する自然、
 心理的・倫理的なものに対する存在論的なものといった視覚から、絶対に意識化・内面化できない
 「外部」にこだわり続けた柄谷行人は、「『内向の世代』に欠けているのは実は『内部の豊饒さ』
 なの」であり、「『内面への道』とはいわば『外界への道』にほかならないのである」と規定することで、
 「内向の世代」をもっともラディカルな可能性においてとらえ、やがて、連合赤軍の余波のなかで
 書かれた「マクベス論」で、イマジナリーな意味空間が破れてリアルなものが露呈する瞬間、
 人がもはや演技などできなくなる瞬間をはっきりと指し示すことで、その切断を決定的なものにする。
 この切断によってはじめて70年代の思考の地平が開かれたのである。
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657 :名無しがお伝えします (ワッチョイ ebc9-8qPS)[sage]:2016/10/16(日) 13:26:22.43 ID:ew+ypbzj0
34 :中村光宏ではなく中村光夫ちゃんw [sage] :2016/01/05(火) 15:59:51.00 ID:DpwwcpQq (9/9)


       イマジナリーな空間の破砕

> ともあれ、だいたい68年から73年にかけて、公害問題からオイルショック、大学紛争から
 浅間山荘事件にいたる時期に大きな断層があって、
 それまでのパラダイムを無効にしてしまうことになる。あらっぽく言えば、モダンからポストモダンへの
 転換が起こる。 その転換を文学の領域で敏感にとらえたのが、いわゆる「内向の世代」だと思います。

 70年の古井由吉の「杳子」や川村二郎の「内部の季節の豊饒」のあたりから、かなり恣意的に
 「内向の世代」としてくくられた動きが出てくるわけですね。これは一過性のもので、
 本当は古井由吉と後藤明生のいくつかの作品に限られると思うのですが、
 それでもやはり60年代的思考パターンの崩壊を見事に示していると言えるでしょう。
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658 :名無しがお伝えします (ワッチョイ ebc9-8qPS)[sage]:2016/10/16(日) 13:26:38.22 ID:ew+ypbzj0
>それまでの60年代的な思想は、個と全体との照応するという図式、アルチュセールの
 イデオロギー論における意味でイマジナリー(鏡像的=想像的)な図式を前提にしており、
 だからこそアイデンティティを云々することができた。そういうイマジナリーな閉域は
 もう破れてしまっておいる。個の内面にどんどん降りてゆくのだけれども、そこには社会と照応しうる
 アイデンティティなどというのは何ら見いだされず、ただ断片と化した言葉のかけらが渦巻をなして
 空虚に向かっていくだけだ。で、日本浪漫派を経由でホーフマンスタールなどに親しんでいた
 川村二郎のような人が、ある意味で「チャンドス卿の手紙」に描かれているような状況を
 そこに改めて見出すといったアナクロニスティックな現象も生じるわけです。
  だが、そこで決定的な切断をもたらしたのは、やはり柄谷さんだと思いますね。
 柄谷さんは72年の「畏怖する人間」という最初の本を出すと同時に「マクベス論」を執筆し、
 そこのところで、イマジナリーな閉域の破砕とリアルなものの露呈、主観的に意味づけようのない
 「現実」あるいは「外部」の露呈を明確な形で示した。それによって、個と全体のイマジナリーな
 照応関係や、それに基づく個人的/共同体的アイデンティティといったそれ以前の議論が
 すべて切断されたと言っていいのではないかと思います。
 本当はそれこそが「68年の思想」だと思うんですね
 さっきあげた60年代末期の思想は「68年」を準備した思想ではあるだろう。
 しかし、フランスなんかで「68年の思想」というときは、いわゆるポスト構造主義とする反人間主義を
 さすわけで、日本でそれに対応するものは柄谷さんの仕事、
 そして蓮實さんの仕事までないんだと思います。
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659 :名無しがお伝えします (ワッチョイ ebc9-8qPS)[sage]:2016/10/16(日) 15:00:25.41 ID:ew+ypbzj0
    5 文芸復興

>1935年前後は、「文芸復興期」と呼ばれる。一方で、それは大正的なものの回帰である。
 これは、いくつかの観点から見ることができる。たとえば、それは大正的な大家の復活である。
 のみならず、プロレタリア文学者は転向すると、「私小説」を書き出した。
 マルクス主義的な「主題の積極性」に対して、その逆の反動である。他方で、それは
 横光利一の「純粋小説」の提唱にあらわれているように、「読者=大衆」を獲得しようとする方向に
 進む。具体的にはスガ秀実が指摘するように、この時期芥川賞がそれに呼応して創設されたのである。
 これらをあわせて、最も成功したのが川端康成の「雪国」であろう。

  川端康成の「雪国」は、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」で始まる。
 主人公にとって、トンネルの向こうは別世界である。妻子のある主人公がトンネルを抜けて
 この世界に入るかどうか、彼の気分次第だ。彼はいつでもそこから引き返すことができる
 旅行者にすぎない。彼が温泉の芸者たちとの愛の関係に苦悩したとしても、
 彼はなんら「他者」に出会っていないからである。
 しかも川端がそのことをはっきりと自覚していることは、頻繁に用いられる「鏡」のイメージからも
 明らかである。つまり、主人公にとって、女たちは鏡に映った像においてあるだけなのだ。
 女たちが現実にどうであろうと、彼は鏡に、言いかえれば自己意識に映った像以外に
 なんら関心ももたない。

 「雪国」とは、「他者」にけっして出会わないために作り出された「他の世界」である。
 ここでは、歴史的文脈だけではなく、「歴史」が完全に消されている。
 いわば、「末期の眼」である。「末期の眼」は、芥川からとられた言葉にもとづくエッセイだが、
 芥川とは無縁である。
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660 :名無しがお伝えします (ワッチョイ ebc9-8qPS)[sage]:2016/10/16(日) 15:00:48.50 ID:ew+ypbzj0
>  坂口安吾は、このころ「墨東奇譚」を書いて復活した永井荷風を「通俗作家」と呼んで批判している。

    荷風は生まれながらにして生家の多少の名誉と小金を持っていた人であった。そしてその彼の
   境遇が他によって脅かされることを憎む心情が彼のモラルの最後のものを決定しており、
   人間とは如何なるものか、人間とは何を求め何を愛すか、そういう誠実な思考に身をささげた
   ことはない。それどころか、自分の境遇の外にも色々の境遇があり、
   その境遇からの思考があってそれが彼自らの境遇とその思考に対立しているという
   単純な事実に就いてすらも考えていないのだ。
        (坂口安吾 「通俗作家 荷風」)

  同じことが川端にもいえる。川端は、いわば「生まれながらにして」孤独であった。
 すなわち孤児であった。芥川において、孤独や不安が歴史的なものであるならば、川端のそれは
 自然的である。「雪国」は「通俗小説」である。つまり、「純粋小説」なのだ。
 この点において川端は横光利一を上回る。
  横光利一についていた保田与重郎は、「雪国」によって川端に転換する。むろん、川端は
 日本浪漫派とは異質であり、ある意味で最も徹底していたといえる。というのは、
 日本浪漫派がまだ彼らが払拭しようとしていた「他者」・西洋や「現実」に
 逆説的にとらわれていたのに対して、川端はそれを一切括弧にいれてしまう装置を
 発明したからである。「雪国」とは、そのような装置である。それはいっさい現実を見ないこと、
 「鏡」のなかに映った像のみを愛でることである。かくて、どんな戦争イデオロギーとも無縁で、
 滅びゆく「美しい日本」の像のみが定着される。

 横光の「旅愁」には、まだ西洋への錯綜した意識がある。川端の日本回帰はその意味で徹底している。
 そこには、日本浪漫派のいうイロニーさえない。だが、それゆえに保田与重郎は川端を讃えたのであり、
 ここにおいて、日本浪漫派がその旗幟を鮮明にし始めたのである。保田のいう「哀れで悲しさうな日本」
 (「日本の橋」)とは、「雪国」の芸者の如きものだ。しかし、川端を讃え、荷風を讃えた保田にとっても、
 谷崎潤一郎は手に負えない存在であった。
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661 :名無しがお伝えします (ワッチョイ ebc9-8qPS)[sage]:2016/10/16(日) 15:05:32.39 ID:ew+ypbzj0
川端康成の小説における女性像

眠れる美女=(少女=処女のバラバラ)死体
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662 :名無しがお伝えします (ワッチョイ ebc9-8qPS)[sage]:2016/10/16(日) 15:07:44.79 ID:ew+ypbzj0
三島由紀夫≒村上春樹≒川端康成
≠夏目漱石≒谷崎潤一郎≒坂口安吾≒大岡昇平≒武田泰淳≒中村光夫
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663 :名無しがお伝えします (ワッチョイ ebc9-8qPS)[sage]:2016/10/16(日) 15:25:12.54 ID:ew+ypbzj0
>眠る娘に添い寝するジジイは何の夢を見るか? 川端康成『眠れる美女』|連載第2回


>「愛おしき変態本」第2回は、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
 夜の底が白くなった」というあまりにも有名な書き出しで始まる『雪国』などの作品、
 そして日本人として初めてノーベル文学賞を受賞した川端康成の『眠れる美女』(新潮社)だ。

>『眠れる美女』は、1960年に『新潮』に連載された短編小説で、舞台は海の近くにある一軒の宿。
 そこは薬で眠らされた裸の娘と一晩同じ布団で添い寝をする、
 老人のための会員制秘密クラブだ。娘は深く眠っているので何をされても起きない。
 たちの悪いいたずらや本番は厳禁(裸体を鑑賞する、乳を触るなどはOK)なのだが、
 男性機能が衰えた老人であるため挿入したくてもできないということ、
 そして秘密を守るという「安心できるお客様」しか利用できない不思議な娼家だ。
 ある老人はその行為を「秘仏と寝るようだ」と形容している。秘仏、確かに言い得て妙…。

>江口老人は手を握って「起きないの?」と娘に問いかけるが、まったく起きる気配はない。
 そしてそっと布団の中に入り、じっと娘を観察する。川端の作品には体の一部を執拗に描写する
 「パーツ愛」が多いのだが、『眠れる美女』でも爪や歯、指、髪などパーツごとに細かく描写されている
 (そのパーツ愛が炸裂するのが美女に片腕を借りる『片腕』という作品だ)。

>ちなみに新潮文庫版『眠れる美女』のあとがきは三島由紀夫が担当しており、
 「その執拗綿密な、ネクロフィリー(注 死体愛好症)的肉体描写は、
 およそ言語による観念的淫蕩の極致と云ってよい」と
 三島節全開の美文で絶賛しているのも読みどころだ。
http://ddnavi.com/news/243868/a/
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665 :名無しがお伝えします (ワッチョイ ebc9-8qPS)[sage]:2016/10/16(日) 16:03:07.18 ID:ew+ypbzj0
>村上春樹さんは2016年もノーベル文学賞を受賞できなかった。
 すでに50言語以上に翻訳され、世界中で読まれているのに――。

 なぜ受賞できないのか。いったい、いつになったら受賞できるのか。
 「万年候補」で終わるのか。そんな疑問や苛立ちにこたえるような、
 事前の予測記事が今年は目立った。そこでは「いくつもの理由」が挙げられていた。

>国内では批評家・文壇から厳しい言葉
  朝日新聞の10月6日の記事によると、アカデミーの選考では、
 世界中の作家団体や過去の受賞者から推薦を募って対象者リストを作り、
 候補者を絞り込む。そこで気になるのが、10月2日の朝日新聞「GLOBE」の記事だ。

「不安な世界をハルキが救う」という特集の中で、担当の太田啓之記者は、
 「世界的なベストセラー作家としての地位を確立した村上だが、
 国内では批評家・文壇から厳しい言葉を浴びてきた」と、「内なるハルキ批判」について紹介している。

ここで批判者として登場するのは、作家・評論家で元東大総長の蓮實重彦さんや
 日本を代表する評論家の柄谷行人さん。アカデミー側が事前に、
 内々にヒヤリングしているかもしれない超大物なので、穏やかではない。
 過去の受賞者の大江健三郎さんが、村上さんをどう評価しているのかなども気になるが、
 選考過程は非公開なので、わからない。

同じ特集の中では、村上さんが米国で、敏腕の出版代理人と組んで声価を上げ、
 ベストセラーを連発していったことも明かされている。
 このあたりも、「商業主義的な作家」とみなされ、アカデミーの「重厚好み」とはズレがあるかもしれない。
http://www.j-cast.com/2016/10/13280518.html?p=all
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666 :名無しがお伝えします (ワッチョイ ebc9-8qPS)[sage]:2016/10/16(日) 16:26:14.27 ID:ew+ypbzj0
三島由紀夫と村上春樹は
批評家・文壇から馬鹿にされ続けたという共通点があるのだが
(例えば三島の友人でもあった中村光夫は小説家としての三島を認めていなかったことや
 同じく友人である福田恒存は「仮面の告白」の新潮文庫版で褒め殺しとしか言えない解説を書いている)

村上春樹も蓮實重彦や柄谷行人や浅田彰、スガ秀実、
村上春樹と同じ早稲田出身で現・早稲田教授である渡部直己などから散々馬鹿にされて貶され続け、
特に蓮實や渡部直己や浅田彰に対しての恨みは深く、ノーベル賞をとって
見返したいとの念が深いのは想像できるが、

しかし、村上春樹に対しての日本国内の批判についてノーベル賞委員会が把握しているのは濃厚で
かつノーベル賞の推薦権を持っているのは確実な大江健三郎や
それが濃厚な蓮實や柄谷行人やその可能性がある渡部直己が村上春樹を推薦することはまずありえず、
その4人が村上春樹ではなく、古井由吉を押すのはかなり濃厚で

容易に翻訳しやすい村上春樹と違って古井の場合は翻訳の問題もあるが
数年後には村上春樹ではなく古井由吉がノーベル賞を受賞して
川端康成が受賞して悔しがった三島由紀夫と同様に
蓮實や柄谷などから受賞を事実上阻止されて村上春樹が地団駄を踏んで悔しがるのが
想像できなくもない

(ちなみに古井の出来の悪い作品は高級な村上春樹といった感じの
 弛緩した作品があるとの渡部直己の評がある)
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667 :名無しがお伝えします (ワッチョイ ebc9-8qPS)[sage]:2016/10/16(日) 18:39:58.86 ID:ew+ypbzj0
大江健三郎や蓮實重彦、柄谷行人にスガ秀実、渡部直己は
古井由吉を押すのは濃厚

浅田彰は古井由吉が日本浪漫派につながる要素を多分に持っていると
割と批判的なのでその実力を認めつつも古井由吉を押すかどうかは微妙だな
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668 :名無しがお伝えします (ワッチョイ ebc9-8qPS)[sage]:2016/10/16(日) 18:42:31.16 ID:ew+ypbzj0
福田和也は古井と村上春樹をともに押すのかもしれないが
蓮實や柄谷が古井を押すのがわかっているから
古井は押さない可能性ある


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