- ☆十字架☆イエス・キリスト☆復活
84 :リンゴ・クリスチャン ◆oPXbhrKCUQ [。]:2011/10/14(金) 16:06:47.31 ID:tLxsrMpk0 - >>83
旧約聖書はイスラエルの神ヤハウェと ユダヤ人との契約で、 それはイエスキリストの現れの預言です。 また天地創造の神ヤハウェとユダヤ人の先祖アブラハムや モーセとの間でかわされた契約の書です。 その教えは人は律法を守ることで、神に認められようとする古い契約です。 しかし、すべては 神の御子キリストの預言の書です 一方、新約聖書はイエスキリストがこの地上にメシアとして来られた 言行を記した書で、旧約聖書時代の古い契約、すなわち 人は律法の行いによって救われるのではなく、神の義は、 イエスキリストの十字架の血によるあがないで、信仰によっと受けるものです。 これは古い契約に対し旧約聖書の預言成就の、新しい契約とキリスト言われました。 そのことが書いてあるのが新約聖書です。 これに関する聖書のみことばを詳しく引用してみます。
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85 :リンゴ・クリスチャン ◆oPXbhrKCUQ [。]:2011/10/14(金) 16:13:23.63 ID:tLxsrMpk0 -
「古い契約のもとでは、大ぜいの祭司が必要でした。 祭司が年老いて死ぬと、 跡継ぎを立てて、祭司制度を絶やさないようにしたのです。 しかし、イエス様は不滅のお方なので、いつまでも祭司であられます。 また、ご自分を通して神様のもとに来る人々を、一人残らず、 完全に救うことがおできになります。 永遠に生きておられるイエス様は、 いつも神様のそばで、ご自分の血によって彼らの罪が帳消しに なっていることを、神様に思い起こさせてくださるのです。 このような大祭司こそ、私たちが必要としていたお方です。 彼は清く、少しの欠点も罪のしみもなく、罪人によって汚されることもないからです。 この大祭司のために、天では、名誉ある特別席が設けられているのです。 普通の祭司は、神様の前に出る時、まず自分の罪を清めるために、 そして人々の罪のために、毎日、動物のいけにえの血をささげる必要がありました。 しかしキリストには、その必要が全くありません。 なぜなら、十字架にかかってご自分をいけにえとしてささげ、ただその一度の行為で、すべてを成し遂げてしまわれたからです。
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86 :リンゴ・クリスチャン ◆oPXbhrKCUQ [。]:2011/10/14(金) 16:19:13.90 ID:tLxsrMpk0 - 古い祭司制度のもとでは、大祭司といえども、自らを悪から守ることのできない、
罪ある弱い人間でした。 しかし後に、神様は誓いをもって、ご自分のひとり息子という完全なお方を、 永遠の大祭司に任命されたのです。 以上述べたことの要点は、このような大祭司がわたしたちのためにおられ、天にあって大能者の御座の右に座し、人間によらず 主によって設けられた真の幕屋なる聖所で仕えておられる、ということです。 おおよそ、大祭司が立てられるのは、供え物やいけにえをささげるためにほかならない。したがって、この大祭司もまた、 何か捧げる物を持っておられねばならないのです。
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87 :リンゴ・クリスチャン ◆oPXbhrKCUQ [。]:2011/10/14(金) 16:21:27.07 ID:tLxsrMpk0 - そこで、もし彼が地上におられたなら、律法にしたがって供え物を捧げる祭司たちが、現にいるのですから、
彼は祭司ではあり得なかったでしょう。 彼らは、天にある聖所のひな型と影とに仕えている者にすぎないからです。 それについては、モーセが幕屋を建てようとしたとき、御告げを受け、「山で示された型どおりに、注意してそのいっさいを作りなさい」 と言われたのです。 ところがキリストは、はるかにすぐれた務めを得られました。それは、さらにまさった約束に基いて立てられ、さらにまさった 契約の仲保者となられたことによるものです。 もし初めの契約に欠けたところがなかったなら、あとのものが立てられる余地はなかったでしょう。
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88 :リンゴ・クリスチャン ◆oPXbhrKCUQ [。]:2011/10/14(金) 16:23:49.41 ID:tLxsrMpk0 - ところが、神は彼らを責めて言われた、
「主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家およびユダの家と、 新しい契約を結ぶ日が来る。 それは、わたしが彼らの先祖たちの手をとって、エジプトの地から導き出した日に、 彼らと結んだ契約のようなものではない。 彼らがわたしの契約にとどまることをしないので、わたしも彼らをかえりみなかったからであると、主が言われる。
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89 :リンゴ・クリスチャン ◆oPXbhrKCUQ [。]:2011/10/14(金) 16:25:58.90 ID:tLxsrMpk0 - わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、
と主が言われる。 すなわち、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつけよう。 こうして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう。 彼らは、それぞれ、その同胞に、また、それぞれ、その兄弟に、主を知れ、 と言って教えることはなくなる。 なぜなら、大なる者から小なる者に至るまで、彼らはことごとく、わたしを知るようになるからである。 わたしは、彼らの不義をあわれみ、 もはや、彼らの罪を思い出すことはしない」。 神は、「新しい」と言われたことによって、初めの契約を古いとされたのです。 年を経て古びたものは、やがて消えていきます。
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90 :リンゴ・クリスチャン ◆oPXbhrKCUQ [。]:2011/10/14(金) 16:29:39.81 ID:tLxsrMpk0 -
さて、初めの契約にも、礼拝についてのさまざまな規定と、地上の聖所とがありました。 すなわち、まず幕屋が設けられ、その前の場所には燭台と机と 供えのパンとが置かれていました。これが、聖所と呼ばれたのです。 また第二の幕の後に、別の場所があり、それは至聖所と呼ばれました。 そこには金の香壇と全面を金でおおわれた契約の箱とが置かれ、その中にはマナのはいっている金のつぼと、芽を出したアロンのつえと、契約の石板とが入れてあり、 箱の上には栄光に輝くケルビムがあって、贖罪所をおおっていました。これらのことについては、今ここで、ひとつひとつ述べることはしません。 これらのものが、以上のように整えられた上で、祭司たちは常に幕屋の前の場所にはいって礼拝をするのですが、 幕屋の奥には大祭司が年に一度だけはいるのであり、 しかも自分自身と民とのあやまちのためにささげる血をたずさえないで行くことはないのです。 それによって聖霊は、前方の幕屋が存在している限り、 聖所にはいる道はまだ開かれていないことを、明らかに示しています。
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91 :リンゴ・クリスチャン ◆oPXbhrKCUQ [。]:2011/10/14(金) 16:32:54.44 ID:tLxsrMpk0 -
この幕屋というのは今の時代に対する比喩であり、供え物やいけにえは捧げられるが、儀式にたずさわる者の良心を全うすることはできません。 それらは、ただ食物と飲み物と種々の洗いごとに関する行事であって、改革の時まで課せられている生まれながらの肉の性質の規定にすぎないのです。 しかしキリストがすでに現れた祝福の大祭司として来られた時、手で造られず、この世界に属さない、さらに大きく、完全な幕屋をとおり、 かつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのです。 もし、やぎや雄牛の血や雌牛の灰が、けがれた人たちの上にまきかけられて、肉体を清め聖別するとすれば、 永遠の聖霊によって、 ご自身を傷なき者として神に捧げられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの良心を清めて、死んだわざを取り除き、 生ける神に仕える者とするのではないでしょうか。それだから、 キリストは新しい契約の仲保者なのです。
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92 :リンゴ・クリスチャン ◆oPXbhrKCUQ [。]:2011/10/14(金) 16:36:42.44 ID:tLxsrMpk0 - それは、彼が初めの契約のもとで犯した罪過をあがなうために死なれた結果、
召された者たちが、約束された永遠の御国を受け継ぐためにほかなりません。 遺言には、遺言者の死の証明が必要です。 遺言は死によってのみその効力が生じ、遺言者が生きている間は、効力がありません。 だから、初めの契約も、血を流すことなしに成立したのではないのです。 すなわち、モーセが、律法に従ってすべての戒めを 民全体に宣言したとき、水と赤色の羊毛とヒソプとのほかに、子牛とやぎとの血を取って、契約書と民全体とにふりかけ、 そして、「これは、神があなたがたに対して立てられた契約の血である」と言いました。
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93 :リンゴ・クリスチャン ◆oPXbhrKCUQ [。]:2011/10/14(金) 16:40:25.28 ID:tLxsrMpk0 - 彼はまた、幕屋と儀式用の器具すべてにも、同様に血をふりかけました。 こうして、ほとんどすべての物が、律法に従い、
血によって清められたのです。 血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ないからです。 このように、天にあるもののひな型は、これらのもので清められる必要がありますが、天にあるものは、これらより更に優れたいけにえで、 清められなければならないのです。 ところが、キリストは、ほんとうのものの模型にすぎない、手で造った聖所にはいらないで、 上にある天に入り、今やわたしたちのために神の御前に出て下さったのです。 大祭司は、年ごとに、自分以外のものの血をたずさえて聖所に入りますが、キリストは、そのように、たびたびご自身を捧げられるのではなかったのです。 もしそうだとすれば、世の初めから、たびたび苦難を受けねばならなかったでしょう。 しかし事実、ご自身をいけにえとして捧げて罪を取り除くために、世の終りに、一度だけ現れてくださいました。 そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後、裁きを受けることとが、人間に定まっているように、 キリストもまた、多くの人の罪を背負うために、 一度だけご自身を捧げられました。その後、彼を待ち望んでいる人々に、二度目には罪を負うためではなく、救いを与えるために現れてくださいます。
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94 :リンゴ・クリスチャン ◆oPXbhrKCUQ [。]:2011/10/14(金) 17:07:52.86 ID:tLxsrMpk0 - 律法はきたるべき良いことの影をやどすにすぎず、そのものの真のかたちをそなえているものではないから、年ごとに引きつづき捧げられる同じようないけにえによっても、
御前に近づいて来る者たちを、完全な者にすることはできないのです。 もしできたとすれば、儀式にたずさわる者たちは、一度清められた以上、もはや罪の自覚がなくなるのですから、 捧げ物をすることが止んだはずではありませんか。 しかし実際は、年ごとに、いけにえによって罪の思い出がよみがえって来るのです。 なぜなら、雄牛や、やぎなどの血は、罪を除き去ることができないからです。
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95 :リンゴ・クリスチャン ◆oPXbhrKCUQ [。]:2011/10/14(金) 17:11:17.00 ID:tLxsrMpk0 - それだから、キリストがこの世にこられたとき、次のように言われました、
「あなたは、いけにえや捧げ物を望まれないで、わたしのために、からだを備えて下さいました。 あなたは燔祭や罪祭を好まれませんでした。 その時、わたしは言った、 『神よ、わたしにつき、巻物の書物に書いてあるとおり、見よ、御心を行うためにまいりました』」。 ここで、初めに、「あなたは、いけにえと捧げ物と燔祭と罪祭と(すなわち、律法に従って捧げられるもの)を望まれず、好まれもしなかった」とあり、 次に、 「見よ、わたしは御心を行うためにまいりました」とあります。 すなわち、彼は、後のものを立てるために、初めのものを廃止されたのです。
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96 :リンゴ・クリスチャン ◆oPXbhrKCUQ [。]:2011/10/14(金) 17:14:08.82 ID:tLxsrMpk0 -
聖霊もまた、わたしたちにあかしをして、 「わたしが、それらの日の後、彼らに対して立てようとする契約はこれであると、主が言われます。 わたしの律法を彼らの心に与え 彼らの思いのうちに書きつけよう」と仰せられ、 さらに、 「もはや、彼らの罪と彼らの不法とを、思い出すことはしない」と仰せられます。 これらのことに対するゆるしがある以上、罪のための捧げ物はもはやあり得ないのです。
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97 :リンゴ・クリスチャン ◆oPXbhrKCUQ [。]:2011/10/14(金) 17:18:00.34 ID:tLxsrMpk0 - 愛する兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエス様の血によって、
大胆に聖所に入ることができるようになりました。 彼の肉体の幕をとおり、 わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、 入って行くことができるのです。 さらに、神様の家を治める大祭司がおられるのですから、 心は洗われて 良心のとがめはもう過ぎ去ったのです。
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98 :リンゴ・クリスチャン ◆oPXbhrKCUQ [。]:2011/10/14(金) 17:20:29.63 ID:tLxsrMpk0 - からだは清い水で洗われ、まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、
みまえに近づこうではありませんか。 また、約束をして下さったのは忠実なかたですから、わたしたちの告白する望みを、 動揺することなくしっかりと持ち続け、 愛と良い行いとをするように励み、お互いに努め、 ある人たちがいつも しているように、集会をやめることはしないで、お互いに励まし、 かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではありませんか。 (ヘブル人への手紙)
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