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74 :名前は誰も知らない[sage]:2017/06/17(土) 10:58:30.92 ID:AFM+O1E5 - 数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。 先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。 木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。 最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。 例えば花なら花という言葉を使わず、 「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。 それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」 などと観察していくのじゃ。 出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。 ちっちゃなとげがあるとか、皺がいくつもあるとか。 次第に慣れてきたら、言葉にせず、目で見るだけで意識に上らせるようにするんじゃ。 そのようにしていると、たまに雑念が沸くこともある。 例えば「この花はバラだ。バラのジャムつておいしいのかな。そろそろごはんのじかんだ」 などといつのまにか、ご飯のことを考えている。これは観察ではない。 観察とは今、ここに、現にある物だけを見ることじゃ。 連想や記憶は雑念なのじゃ。 そのような雑念が沸いてきたら、止の行をしてきたおぬしらは、どうすればいいか判るじゃろう。 数息観をしていた時と同じく、ただスルーするのじゃ。 止めようとか、駄目だとか思わず、ただやり過ごして、観察に戻る。 そうすれば雑念は自然に消えていく。 このような時に止の行は役立つのじゃ。 やはり止と観察は二つで一つなのじゃ。
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