トップページ > 孤独な男性 > 2011年02月25日 > 3HJ1FNeQ0

書き込み順位&時間帯一覧

63 位/635 ID中時間01234567891011121314151617181920212223Total
書き込み数0000000000000000000004004



使用した名前一覧書き込んだスレッド一覧
名前は誰も知らない
カーチャンごめんよ…Part 3

書き込みレス一覧

カーチャンごめんよ…Part 3
498 :名前は誰も知らない[sage]:2011/02/25(金) 21:09:12.14 ID:3HJ1FNeQ0
以前のコピペ

327 名前:転載 :2005/03/30(水) 02:40:41 ID:xL/JNSYR
(十数年前時点の)私と母親の話です。
地元紙にも同じ感じの内容が載っていますが、 それは私のです。

--

俺は、いわゆる母子家庭
一人っ子で、母親と二人で18歳までは京都に住んで、大学に入ってからは東京で一人暮らしている。

ちなみに俺と母親とは40歳離れている。
小学校の時は
「俺の母親だけ何でこん なババアやねん!もっと若かったらなあ。」とか、
「なんで俺のところだけ、父親いないねん、こんな貧乏やねん」っとか不満に思っていた。
母親と言い合いになれば、
「違う家に生まれたかったわ!最低や」とか平気で言っていた。

母親には18歳までは反抗しまくりで、よく言い合いをしていたから、
東京に来て、のびのびできるとせいせいしていた。

上京後2年は、お盆、年末年始ぐらいしか顔をあわせなかったが、仕送りだけは毎月もらっていた。
親への甘えを当然のこととして受け止めていた。

そんな母親が、俺が20歳の秋、蜘蛛膜下出血で享年60歳で急逝した。

ほとんどいない親族だけでひっそりと葬式をあげ、位牌と遺産800万円だけ東京に持ってきた。
その位牌も、彼女が家に来るという理由で押し入れに入れ、そのままにしていることも多かった。
徐々に、母親のことを考えることも減っていった。
いや、わざと忘れるようにしていたのかもしれない。

母親が死んでから1年半、俺が21歳の冬、就職活動の際、
本籍を東京に移動させる、京都の家を売る、自分の戸籍抄本をとるために京都に帰った。
そのとき、受け取った書類を見ていると何か違うと気づいた。

カーチャンごめんよ…Part 3
499 :名前は誰も知らない[sage]:2011/02/25(金) 21:12:20.33 ID:3HJ1FNeQ0
328 名前:転載 :2005/03/30(水) 02:41:00 ID:xL/JNSYR
「養子縁組届がでている・・・」「母親が養親となっている・・・」

21歳で初めて養子であることを知った。俺は考えた。考えた。悪い頭で考えた。

混乱しながら、京都の家に帰り、1年半放ったらかしにしていた家の整理を行った。
呆然としながら、母親と写った写真、母親の遺品を見て、初めて思い出を振り返っていた。
これまでは避けていた。あえて避けていた。

すると、これまでそんなこと無かったのに、
急に体が震え、涙が出て、嗚咽が止まらなくなった。

「○○ちゃん(俺の名)4歳の誕生日」「○○ちゃん 入学式」
こんなタイトルのアルバム。母親が撮ってくれていた写真。俺の写真ばっかり・・・
丁寧に、コメント入りで、収められている。俺がいないときに見ていたのだろうか。
何度も何度も見ていた痕跡があるいたんだアルバム。
その中で、俺はなんて幸せで無邪気な顔してんだよう・・・

俺は、恥じた。死ぬほど恥じた。今は骨くずのみになってしまった母親。
その位牌を粗末に押し入れにしまい放っている今の自分に。
忙しい日々で母親のことを忘れかけている自分に。

こんなどうしようもないアホ息子のわがままを聞いて、何も言わず、
独りで20年育てくれた母の後ろ姿を思い出す度に、母の無償の愛に対して、
「ありがとう」の言葉一つ言ってこなかった自分の愚かさ加減に打ちのめされた。

カーチャンごめんよ…Part 3
500 :名前は誰も知らない[sage]:2011/02/25(金) 21:14:58.85 ID:3HJ1FNeQ0
329 名前:転載 :2005/03/30(水) 02:42:11 ID:xL/JNSYR
残してくれた800万円も母親の年収からすれば、どんだけ切りつめて貯めてくれたのか・・・
思い出せば、着飾った母親の姿をみたことがない。

母親の20年間は俺のために生きた20年と言ってもいい。
母親にとって自らの幸せは何だったのか?と考えた。
母親も一人の女性。悩み、苦しんだ時もあっただろうに・・
そして、そんなとき、この俺は母親に何をしてあげてきたのか・・・
何もしてこなかった。。何一つ。

「○○ちゃん(俺の名)の顔を見ているだけで、お母さん幸せだわ・・・」
今思えば、当時はうざいと聞きとばしていた、母親のこの言葉が唯一の救いだ。


俺は、今は22歳。来春から、晴れて社会人になる。

母親が大好きだった紫のスイートピーを霊前に飾りながら、俺は思う。

今あるのは本当にあんたのおかげです。
そして、俺はあんたのたった一人の息子です。
照れるが、、あんたが母親で良かった。世界一の母親だよ。
立派な男になって、必ずあんたが誇れる男になります。

あんたとの20年間、ほんとに幸せでした。ありがとう。

カーチャンごめんよ…Part 3
501 :名前は誰も知らない[sage]:2011/02/25(金) 21:17:54.14 ID:3HJ1FNeQ0
上記のコピペは本来なら「★☆★カーチャンに感謝するスレ★☆★2ペコ目」でコメントすべきだが、
流れを変えるためにここに置いてみた

それにしても、これは何度読んでも泣いてしまうなぁ・・・


※このページは、『2ちゃんねる』の書き込みを基に自動生成したものです。オリジナルはリンク先の2ちゃんねるの書き込みです。
※このサイトでオリジナルの書き込みについては対応できません。
※何か問題のある場合はメールをしてください。対応します。