- 関空、伊丹、神戸の将来 PART17
379 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/03/01(火) 04:03:46.73 ID:qz3jmSZA0 - >>373
理論が欠点だらけ。 航空会社はべつに複数の空港に就航させる義務は負っていない。物流業者も同様。 一港に集中すれば安くなり、他より優位に立てると考える企業はそうすればいいだけ。 >互いに同質の需要を奪い合い、全ての空港が疲弊するようでは拠点空港の不在によって、アジアの成長を取り込むことができなくなる。 同質の需要ではない。国際便は関空が独占している。アジアの成長を取り込むゲイトは関空のみ。 今でも十分アジアとの間の交通をさばくには間に合っている。空港をいじる必要はない。 すべての空港ではなく、疲弊しているのは関空のみである。 いかに関空への集約が国益にかなうものであったしても、他者のビジネスチャンスを何の代償もなく奪うことは日本ではゆるされない。
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399 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/03/01(火) 21:22:03.65 ID:qz3jmSZA0 - >>395
しかし何だなぁ、大阪は言っていることがコロコロ変わって一貫性全くないのに、 その点を全くマスコミは非難しないんだから。 最初:関空、伊丹、神戸の3港は仲良く機能分担し、共存していきます。 それは関西3空港懇談会にて決まったことです。 http://www.mlit.go.jp/common/000011163.pdf ↓ 国もアリバイづくりにパブリックコメントを募集、 「三港役割分担でいきます」は国民みんなの意見を反映させて決めましたということに。 ↓ それでも関空業績上向かず、橋下、伊丹廃港を言い出す。 ↓ 大阪府内でさえも意見が分かれ、まとまらず。 橋下、伊丹が廃止になれば神戸は復活する、伊丹廃止に応援してくれと、ラブコール。 ↓ 神戸市、三空港役割分担で行くと話し合って決めたんじゃなかったの? 伊丹さんの意見はどうなってるの。役割分担というから、うちも規制を引き受けてるのに。 ↓ 橋下、え〜〜い、しゃらくさい、国に直接言う。 ↓ 国、関空、伊丹統合案を発表 ↓ 神戸、うちはよしてくれないの? 橋下:神戸に救いの手を差し伸べたとき神戸は即断しなかった。後の祭。 ↓ 三空港共存の約束を大阪が破棄するなら、規制も撤廃しろ! ↓ 橋下:神戸は勝手にやってなさい、ただし、規制はそのままでね。 さすが、大阪が選んだ代表者というところか。 彼は関空発展などもうどうでもいいと思うよ。 国が案を出した以上、国のやることを高見の見物できる、やっと荷がおりたと思っている。 統合案なんて今もって何やるか、どんなメリットがあるか、実現性あるのかみんな疑問だけど 何の質問も彼はしてないからね。
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402 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/03/01(火) 21:41:03.69 ID:qz3jmSZA0 - >>386
関空厨はいつも「国ガー、国ガー」ですか?それは何故でしょう? 答は「それが大阪の伝統」だからです。江戸時代から国の権威を借りて独占権を得、他を排除して バカでもできる楽商売をやるのが大阪です。 「大阪力」 丹波 元 PHP文庫 p60より 江戸時代の大坂は、それ以前の豊臣秀吉によって大阪城が築城され、町の基礎と成ったものの、 さらなる本格的な町造りというべき、埋め立てによる町域拡大や運河の掘削などは、徳川期の 初代大阪城主である松平忠明の手によって発展発達したものなのだ。 徳川幕府は、江戸は政治の中心、大坂は経済の中心と位置づけ、大坂人と町に、現代では信じられぬ ほどの、数々の優遇措置を講じた。 もちろん、松平忠明の力があってのことだが、後には、大坂を幕府直轄の天領として、そこに住む人々 の租税を免除した。と同時に、特筆すべきは、江戸時代全般に渡る長い期間、大坂商人に株仲間の特権 を与えた。 要は、様々な商品の流通の中間部である卸業界に、独占権を与えたのだ。代表的な例が、現代でも 半ば独占的に扱われている昆布などがそれだ。 産品ごとに株仲間を作らせ、他所の人間が入り込めないようにし、産地からの買い付けに始まり、全国 の小売業者への卸まで、ほとんどを大坂の商人に委ねたのである。逆にいえば、多くの商品は、一旦、 大坂という町を通過しない限り、全国の消費者の手にわたらないということになる。 ここまで優遇されると儲からない方がおかしい。金魚すくいを金網でやっているようなものである。 しかも、品物ごとに商品相場も立ったから、さらに利益が増える。 もっとも、幕府は株仲間の人数制限を厳しくしたので、ちょっとやそっとのことでは仲間に入れなかった。 当然、既得権の死守的思考につながり、談合も生じやすい。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ こ こ ま で 優 遇 さ れ る と 儲 か ら な い 方 が お か し い 。 金 魚 す く い を 金 網 で や っ て い る よ う な も の で あ る 。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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405 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2011/03/01(火) 21:52:46.95 ID:qz3jmSZA0 - それよりも大阪を代表する司馬先生がこういった文章を残していますよ。
朝日文芸文庫 神戸・横浜散歩、芸備の道 街道をゆく 21 司馬遼太郎 P159〜 神戸にとって、大阪は忌むべき旧時代の象徴であった。江戸期、兵庫と兵庫港は大坂の奉行所の支配下にあり、 大坂から与力一騎がやってきて兵庫における行政事務を担当していた。 江戸期の商業の一特徴は、「株仲間(かぶなかま)」というものだった。同業仲間としてはたがいに過当競争をし がちだし、政府(幕府)の保護が必要な 場合もある。政府としては商業というえたいの知れぬ膨張や動きを する────ともすれば封建制のわくからはみ出がちな───ものを掌握しておくのに、同業ごとに「株仲間」 をつくらせておくほうがいい、というのが幕府の思想にあったのだあろう。たとえば大坂における煮売屋(にうりや) の株は744株、湯屋(ゆや)の株は140株、髪結床(かみゆいどこ)の株は278株、旅籠(はたご)株は976株 というもので、新規に商いをする場合、株仲間のうち業したりして空株(からかぶ)になっている株を買うことから はじめなければならなかった。 ───お株をとられる。 という慣用句が、いまなお使われている。その人のお得意の芸や癖を、一座の誰かに取ら れるといった他愛もない場合につかわれるのだが、言葉のおこりは江戸期の株にあり、深刻な例でいえば、当主が 急死して息子がまだ幼い場合など、叔父などが番頭をまるめこんで株を自分のものにしてしまうことで、たとえ 先代以来の家屋が店舗であり、息子がりっぱに成人しても、とられた株がもどってこなければ営業はできないのである。 江戸中期以後、兵庫は北前船の出発港の一つとして栄えたが、廻船問屋の株はすくなく、十数軒しか許可されなかった。 このことは、大坂の同業者が、大坂奉行に働きかけて兵庫港の成長をおさえこみつづけたということがあるらしい。 江戸期、開港場である横浜も江戸に支配されていたが、そのくせ横浜には江戸を憎む感情がないにひとしいのは、 江戸が日本国の首都であり、政治・文化の権威の中心であるということがあって、江戸への尊敬心がつよすぎたこ とによるのだろう。 この点、大坂には、都市を装飾するところの政治や文化の権威をいうものがなく、兵庫港からみれば、そういう 大坂に、大坂奉行所を通じて支配されていることが笑止千万だったにちがいない。 兵庫が幕府直轄領になったのは江戸後期からで、それまでは尼崎藩の藩領であった。尼崎藩は兵庫港に陣屋を置い て藩吏を駐在させていたが、幕府直轄領になってから、その陣屋が、そのまま大坂与力の駐在所につかわれた。 ───尼崎藩時代の兵庫はよかった。 というのは、当時の兵庫商人がひとしくささやいているらしいところであった。尼崎藩はその財政上から、兵庫港 の発展はじかに藩を利するものであったために、商人を大切にし、かれらの商業活動を拘束するようなことはしなかった。 しかし幕府直轄領になると、事情がかわった。具体的には大坂の株仲間に支配されることだった。 開港によって、 さらには幕府が倒れることによって、兵庫は大坂から独立したといっていい。 神戸人が大阪に対して持っている明色 でないイメージは、ひとつには、右のような歴史の遺伝が、どこかにのこっているのかと思える。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 大 坂 の 同 業 者 が 、 大 坂 奉 行 に 働 き か け て 兵 庫 港 の 成 長 を お さ え こ み つ づ け た と い うこ と が あ るら し い 。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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