- 【アフリカの】ルワンダについて色々教えて【奇跡】
27 :人類発祥の名無しさん[]:2016/07/02(土) 16:03:11.19 ID:yECLq2SI - クリスチャンの国でなぜ? 青年らが「ルワンダ大虐殺」を考える 2016年7月2日07時12分
http://www.christiantoday.co.jp/articles/21338/20160702/jifh-rwandan.htm 海外の自立開発や教育の支援を行っているキリスト教国際NGO「日本国際飢餓対策 機構」(JIFH)が6月25日、お茶の水クリスチャン・センター(東京都千代田区)にある 東京事務所でイベント「ルワンダへ旅をしながら」を開催した。東京近郊の20代を中心 とした青年ら約20人が参加。多くが教会につながるクリスチャンだが、友人と共に来た というノンクリスチャンの姿もあった。 1994年に国内情勢が急激に悪化したアフリカ中部の国、ルワンダ。ツチ族とフツ族の 間で争いが起き、大規模な虐殺につながった。たった100日間で、80〜100万人の 国民が命を落としたとされ、その数は人口の1割以上にも上った。国民の8割がクリス チャンだというこの国で、なぜこのような大虐殺が起きたのか。この日、会場に集まった 若者たちが真剣に語り合った。 イベントをナビゲートしたのは、JIFH職員の福地麻美さん。2011年1月にルワンダを 訪れ、その様子を映像を交えて紹介した。福地さんがルワンダを訪れて驚いたのは、 街がとてもきれいだったということ。ゴミが1つも落ちていなかったというのだ。「これは、 国策で掃除の日が定められているためです。掃除をしないと罰金の対象にもなり得る ほど厳格で、スーパーなどでは、ビニール袋も禁止。空港では、ビニール袋を持って いると、没収の対象になります」と説明した。 ルワンダの歴史は、常に紛争と共にあった。1918年、ベルギーの統治下に置かれ、 植民地に。62年に独立するも、紛争が続き、93年にやっとルワンダ政府と反政府勢力 であったルワンダ愛国戦線(RPF)の間で停戦を定めるアルーシャ協定が結ばれた。 しかし、翌94年に当時の大統領が暗殺されると状況は一変し、「ルワンダ大虐殺」の 引き金となった。 「それまでの紛争では、『教会に逃げ込めば、命は助かる』とされていたため、この時も 多くの人が教会に逃げ込みました。しかし、この虐殺では、それまで仲が良かった隣人が、 突然、部族の違いから敵になるといったことが起きたため、神父様が教会に集った信徒を ブルトーザーでひき殺すといったことが起きました。プロテスタントの教会でも、集った多くの 人の中に手りゅう弾を投げ込んで、一度に多くの人の命を奪うということが起きました。 また、25万人の女性がレイプされたといわれており、約2千人もの父親不明の赤ちゃんが 誕生しています」 映像では、約1万人の人々が殺害されたとされるニャマタ教会の写真が映し出された。 多くの頭蓋骨。赤ちゃんも投げ殺されたとされ、いまだに血の跡が残る壁。目を覆いたく なるような写真でも、参加者たちは皆、しっかりと目に焼き付けるように見入っていた。 映像の後に、ディスカッションの時間が設けられた。テーマは、「国民の8割がクリスチャン だとされるルワンダで、なぜこのような悲劇が起きたのか」。それぞれのグループでは、 「クリスチャンの多い国では、意外と戦争が多い。聖書では『裁き』を禁止しているにも かかわらず、クリスチャンの心の中には、『排除』する気持ちが強いのでは?」「『ガチ』な クリスチャンは少なかったのでは? ベルギーの植民地だったことで、形式的なクリス チャンがいたのではないか」といった意見があった。 JIFHがルワンダの各教派の聖職者に話を聞いたところ、カトリックの司祭は「カトリック 教会は、国家権力と非常に近い関係にあったため、正しい対応ができなかった」と話し、 聖公会の司祭は「儀式をきちんと守ってさえいれば、立派なクリスチャンだと考えていた」 と話していたという。また、プロスタントの牧師は、「互いに愛し合うことが欠けていた。 当時は救い、天国への希望など、霊的な事柄のみに関心があった」と話し、福音が歪め 狭められ、委ねられた使命に生きてこなかったことがうかがえたという。
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