- 【炎上商法】ブッダかずひさスレッド1【自己中】
350 :クリックで救われる名無しさんがいる[sage]:2021/07/13(火) 02:28:06.38 ID:pVP4YdfG0 - 釈迦の教えで物事を説いたり、実践しようとすると、いろいろと矛盾も出てくる。
たとえば釈迦の視点でブッダかずひさを見たときに、 「どう考え、どう実行するだろうか?」と考えたことはあるかい? 釈迦は人の舌とは「両刃の斧」のようなものだと例え、たとえ自分の意見が正しかったとしても、 相手のタメにならないようなら黙っておき、そうでないときは相手に合わせてさとすという。 とするならば、釈迦がブッダかずひさを見たとき、何も言わず黙っておくんじゃないかと思う。 それでは信者が可哀想という思いもあるが、類は友を呼ぶものです。 そして、あの世の階層も類友が集まる階層のようなもの。 昨今、しばしば日本の仏教を説く坊さんの動画チャンネルを観察すると、 そこに集まる視聴者は仏教を学ぶ姿勢とは少しズレている者も多く、 仏の教えにより「救ってもらいたい」という内なる心がどこかにあるように、私にはそう拝見しましたよ。 つまり、自分が救われたくて観ている視聴者ばかりなのです。 自分はそこに哀れみを感じたかな。ブッダかずひさや、その信者に対しても同様です。 釈迦は時代に合わせて、原始仏教の形を変えてもよいと発言していたが、 仏教とは人々を救ってくれる魔法のようなものでもなければ、便利な道具でもない。 話が長々となりましたが、我、幾度となく輪廻転生を繰り返し、今生では日本で生まれた。というか自分で選んだ。 その過程で釈迦本人かどうかは知らないが、天国にて高僧と会ったことがある。 老人のその男性があぐらをかいて瞑想に入ると、数十秒後に背中から綺麗な光が出ていた。 あれが後光なんだと思う。今世に残る絵などを拝見すると、昔の人はそういった気みたいなものが 見えていた人が多かったのかもしれない。 そなたもいつか、向こうの世界に逝ったら、 ガイドの魂に「少しばかり天国を見せてもらえないか?」と問うてみるといい。 天国とは静かなところで行ける人は限られるが、なんとも清々しい階層だった。そこに釈迦がいるかもしれない。 それではおやすみ。
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