- 【History】感想・議論・質問・雑談スレッド 7【文明のはじまり】
747 :こんなのがあった[sage]:2011/10/02(日) 22:53:52.12 ID:vV896ks30 - ▼石原盛衛『和牛』S24-4
もともと「役肉用牛」のタイトルで執筆したが、まるっきり和牛の話となってしまったので、タイトルを変えてもらったという。 この時点で和牛は170万頭。日本の家畜の首位。 ※つまり豚が流行るのははるか後なのだ。文明開化のスキヤキ文化が敗戦後しばらくまでも続いていたのだ。 主産地は関西。 牛革は他の動物より重く、大面積で、厚い。だから工業用としても、また靴底用としても、牛しかあり得ないのである。 推古天皇のときインドと交通が開けて、インド牛(肩峰牛)が輸入されたという。 将軍吉宗が輸入して房州の嶺岡で飼養させた白牛もあきらかにインド牛。 牛が父娘交配すると、目のない畸形仔牛が生まれる。また、異母兄妹交配をすれば、矮小な仔牛が生まれる。 ※日本以外では、これは常識だから、近親「タワケ」への寛容はあり得ないのである。 古代の日本には畜産がなかったがゆえに近親「タワケ」も許されていた。 またエディプス王が目を潰すという戯曲は、じつは古い遊牧民族の教訓が背景にあるのだろう。 牛にも汗腺はある。しかしそれが発達していない。だから暑さに弱い。 高温下で使役すると、体温調節のためによだれを出し、口で呼吸するのである。 飼育担当人が粗暴な性格だと、牛は肥らない。短気粗暴な人間は牛を飼う資格がない。 ※これが大戦中に遺憾なく発揮された日本人のキャラクターである。牧畜の知恵を有する者だけが他民族を操縦できる。 牛の性質はよく遺伝する。 ※牧畜先進文明では進化論がとうぜんに推測された。 4歳の牝の最大駄載量は、平均605kgで、体重の1.4倍。ただしこれで連続運搬はできない。 2時間以内の駄載だと、和牛牝では、100kgが限度だ。この実験調査は朝鮮総督府の農事試験場でやった。 ※インパール作戦では1頭の牛/水牛に山砲の一パーツ(100kg)を載せて半日行軍することもおそらく無理があり、英軍のようにさいしょから騾馬(ミュール)を使うしか方法はあり得なかったのだ。 それは戦中からこのようなデータによって確認できたことであった。イギリス式の図書館環境が整備されていなければ、試験データは決して活かされず、科学も進歩せず、戦争にも勝てないのである。 http://koji150.blog.so-net.ne.jp/2008-09-10
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