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名無しさん@お腹いっぱい。
【プデュ】PRODUCE X 101 回顧スレ☆11

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【プデュ】PRODUCE X 101 回顧スレ☆11
124 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2019/09/11(水) 07:09:13.42 ID:6PBzvtUP
カンソカのインタビュー

■「プデュX」以後、近況が気になる。

プデュX'を長く撮影し、心身を休める時期が必要だった。
親のいる故郷、大田(テジョン)に行って、家族や親戚たち、長い間会えなかった友達を見ながら時間を過ごした。

■アイドルへの夢を見るようになったきっかけが気になる。

할お祖母さんと一緒に暮らしながらトロットに接し、関心を持った。 そして、自然に歌手の夢を育てた。
その時が東方神起、少女時代が活発に活動する時だったが、彼らの映像を見て 'アイドル'という存在を初めて知った。
私もアイドルがやりたいと思った。



■本格的にアイドル準備をすることになったのはいつだろうか。

高校の2年生の時、実用音楽塾に通っていたところ、経験にして、JYPオーディションに応募したのが、運良くて私だけが忠清南道地域でついた。
ストレーキッズチームを準備したが、最終的にデビュー組に入ることができず、会社から出ることになった。
その後、 'YG宝石箱'に出演するためのデビュー組が必要だと言われ、YGの練習生になった。

■「YG宝石箱」から「プデュX」まで相次いでサバイバルに臨んだ。 度胸がいい。

JYPにいた時、スタッフが私に「アーティストは舞台にいる時、実力が上がる」と言った。
その言葉だけを信じて「YG宝石」に挑戦したが、初めて現実の壁を感じた。
デビューが容易ではないということをその時感じた。
トレジャー脱落後、YGを出て個人練習生として「プデューX」に志願した。

■サバイバルを相次いで出るようにした原動力は何か。

実は「YG宝石箱」が終わったばかりなのでサバイバルはもっとやりたくはなかった。
しかし、父がまず「プデュX」を通じて可能性を再確認してみるのはどうかと提案した。
よく考えてみるとその言葉が当たった。
プデュX'が私を見せられるきっかけだと思ったし、私自身を確認してみたかった。
それで「プデュX」に志願した。

■「プデュX」の出演を後悔はしないか。

体は大変だったが、精神的には役に立つ時間だった。 舞台に立つ機会があったし、ファンとコミュニケーションできる時間があった。 早い時間にたくさんのことを経験した。


http://m.joynews24.com/view.php?g_serial=1207043
【プデュ】PRODUCE X 101 回顧スレ☆11
125 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2019/09/11(水) 07:09:43.76 ID:6PBzvtUP
>>124 続き



■「プデュX」が精神的に役立ったという意味は何か?

練習生が初めての友達も、あらかじめデビューした先輩もいた。 お互いに経験できなかったことを打ち明けて悩みも話した。 また私と同じ道を歩んでいる友達が100人いるという点が意外に大きな力になった。

■特に大きな力になった練習生がいるとしたら

今は泣かせウリムエンターテイメントに行ったイヒョプと듀プデューX'の前から、つらい時期を共に経験してきた。
大変な時に「私たちは成功する時が来た」と慰め合いながら助け合った。
本当によく会ったが、最近ウリムの練習生になり、以前ほど会っていない。
これに先立ってデビューした李ジンヒョクも、自分の経験をもとに現実的な助言を多くしてくれた。
大変なことに共感もして、「勝とう!」と慰めた。

■「プデュX」をして一番楽しかった記憶は?

舞台をした時、本当に楽しかった。
李ヒョプと同じチームだったが、あまりにも呼吸がよく合って眠れなくてテンションが高かった。 制作スタッフが私たちに黙っていなさいと言うほどだった。
争うこともなく、すべての舞台が一瀉千里で解決した。 私たち同士で'すべて粉砕できる'、'私達本当にビルボード行ける'、'もう音源チャート1位だ'といたずらに話した覚えがある。

■名前と顔が知られてから経験した不思議な経験があるとすれば...。

私のスローガンを聞いてくれるファンが不思議だった。
小さな広告があっても不思議で感謝して全部探し回った。
ファンにポストイットを書き留めていったのも忘れられない思い出だ。
私のために来てくれたファンに「片方のハート」をしたのも楽しくて不思議な経験だった。


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